今月のつぶやき

3月:月報」巻頭言 「不思議な1週間」  郷津 正子

 

  色んな方々の近況を日替わりの様 に知る1週間を過ごしました。週の前半は、若い方々(かつての教 会学校の生徒たち)の近況が全く 教会とは関係のない方々の口から 知らされました。週の後半は、私 より年上の3組の牧師夫妻の近況 が入ってきました。 その内容が嘘みたいにそっくりなのです。妻は、持病があって日常 生活を営むのも大変な状況の中で突然、牧師である夫が心臓病で緊急の手術を受け手術は成功したものの体重が激減(みんな4キロ) し他の病気を心配している。そん な時に奥様が突然、飛び出してき た車を避けようとして転倒し骨折して入院し動けなくなった。 毎日、日替わりで入ってくる別々のご夫妻の近況がほぼ一緒な事に 「何だろう」と不思議な気持ちになりました。更に神様に向かって 「ひどいじゃないですか?大変な 状態の人を更に大変な目に合わせて何がおもしろいのですか」と口走ってしまいました。少々、言い 過ぎたと反省し「神様、私は、本当に信仰がない人間です。もし、 私が、皆さんと同じ目に合ったら 多分、耐えられないと思います」 と祈りながら「これも更に開き直った祈りみたいだ」と気付き 「自分はダメだなあ」と更に落ち込 みました。

大変な目に合っておられる方々は 「1年近くかかったけど最近、何とか家事も出来るようになって感謝です」と私のような文句などは、誰も言っていません。私は「皆さんの様に感謝など言えないなあ」と思っていたら、翌朝、気付いたら ベッドから落ちてサイドテーブルに頭をぶつけ目覚めました。 自分がベッドから落ちるなどとは夢にも思っていなかった私は、頭をぶつけた痛みより、落ちたと言う事実に打ちのめさせられました。 実は以前、入院した時、同室の方が ベッドから落ち、たんこぶが巨大化し頭の上に頭があるような妖怪の様な姿になられ思わず悲鳴を上げた事があります。それ以来、ベッドから 落ちる事に異常なまでの恐怖感があるのです。 落ち込む私に夫は「感謝だ!掛布団 が絡まったのが原因で落ちたのだろうけど、もし、掛け布団に包まれなかったら大けがをして当分、歩けなくなったかもしれない。本当に良かった!」と言いました。その瞬 間、確かに夫の言う通りだと気付きました。そしてその日は血圧の薬をもらいに病院に行く日だったのでそこでCTを取ってもらい頭も大丈夫だと分りました。

私は、家に帰った時、「高齢になれば病気や怪我からは逃れられないし夫婦そろって大変な状態になる事だって起こる。そうなった時でも神様は、目に見えない所で確実に最悪 にならない様に働いて守っていて下さる。だから「そうなったら耐えら れない」と心配するより「私には、 耐えられる自信はありませんが、そんな時も守っていて下さいね」と祈るべきだと改めて気づかされまし た。

 

 

2月:月報」巻頭言 「心のチャペル」  郷津 正子

 

  年末、2024年は、「良い年とは 言えないだろうなあ」と漠然と思っていました。そんな半ば諦めの気持ちでいた所に能登の地震が 起こりショックを通り越し呆然と してしまいました。翌日には、燃える日航機の姿がテレビに映し出され、まさか2024年の幕開け がこんな事になるとは夢にも思っ ていなかったので「これから先、 どんな事が起こるのだろう」と一気に不安になりました。更に被災 地の映像を見ている内に「自分が本当に高齢者になってしまった」 と実感しました。何故なら心は、 東日本大震災を思い起こし猛烈に 痛んでいるのにそれ以上の思いや行動が出てこないのです。

 東日本 の時は、この悲劇を一生、忘れな いためにとボランティア活動が終了した 5月の連休に青森までの被災地訪問の旅に出たりしていました。どころが今回は、悲惨な状況を見なが らも「1つの現実」としてしか認 識していない自分に気付き「あの 時の感情と違うのは何故だろう」 と自問自答し始めました。 そして東日本の時は「まだ私も夫 も50代後半で私の足腰も問題はなく無理が出来た。自分も大変で ももっと大変な状況にいる人の事 を優先に考えられる心の余裕が あった。ガソリンを手に入れては 被災地に何度も出掛けて行っても 苦にならなかった。でも70代に なり心身共に衰えを覚えた今の自 分には、募金や祈る事は出来ても 『現地まで行こう、ここで何かをしよう』と言う発想すら起きない。きっと高齢者と呼ばれる様に なった今の自分の一番の関心事は、 「出来るだけ他人や親族に迷惑を掛 けずに残りの人生を生きたい。果たしてこのままでそれが出来るのかと 言った思いや不安が重くのしかかり 他人の事は、第一の関心事にならな くなっているのかもしれない」と思いました。そして老いると言う事は 単に心身が衰えるだけでなく他者より「自分が優先される道」を選んで しまうのだ」と気付きました。

 そんな自らの姿に落ち込んでいた 時、ブラザー・ローレンスと言う修 道士の言葉に慰めを受けました。 彼は「私たちは、自分の心の中に 私的なチャペルを建てるべきだ。折 にふれてそのチャペルに退き主との 平安で謙虚で愛に満ちたふれあいの ときをもてるからだ」と語りました 毎日、修道院の台所係りとして日常 の雑事に翻弄され礼拝堂に行って祈りたいと思ってもその余裕がない。 でも、心のチャペルならいつでも祈る事が出来る。と彼は語りました。

 きっと2024年も悲惨な状況や 耐えられないと思える様な試練が私 たち、日本、世界に起こるのかもしれません。そんな時、「もう自分は 何も出来ないしやっても無駄だ」と 悲観的になる前に私たちは、自分専用のチャペル(礼拝堂)を心の中に 持っている事を忘れないでいようと思いました。 神様は決して「今、忙しいから後で」とは言うことはなく、私たちの疑問や願いを聞いて下さるから大丈夫だ」と改めて思いました。

 

 

 

 

 

1月:月報」巻頭言 「新しい年を迎えて」  郷津 裕

 

  先日、地球環境の専門家が、「このまま二酸化炭素の排出量を 押さえられなければ、4年後には自 然災害が4倍に増えるが、その事に関して日本人の関心度は世界と 比べて極めて低く、その理由は、 『日本人の多くが経済的に余裕のない状態に置かれていて世界の事 よりも今の自分の暮らしの事で 汲々としているからだ』と言っているのを聞きました。

 家内も年賀状を書きながら「いつもなら『良いお年を!』と書き 添えるのだけど心の中で「新しい 年にどれだけの人が良い年を過ごせるのだろうか」と思うと書きな がら白々しい思いになると呟きました。確かに現実を冷静に見れば、将来への不安が、ない人など いないかもしれません。そんな暗 い気持ちになった時、何故か昨年 の婦人コンサートに来られた96歳のご 婦人の言葉が思い出されました。

 送迎途中の短い時間の中で家内 はその方に色々な事を尋ねました が、彼女は毎回、同じ言葉で返答 されました。例えば家内が「96 歳で電車を使い日立まで来る事に不安はありませんでしたか」と聞 くと「私もこんな年まで生きるとは思ってもいませんでした。でも 生きてしまった以上は、不安を持ってもしかたがありません。自分の気持ち次第ですから」と答えられました。

 次に家内が「若い頃からハーモニカを 吹いておられたのですか」と聞くと「吹いた事も習った事もありません。80歳の時に公民館で行われたハーモニカの教室に入っただけ です」と言われたので家内が「80 歳になって全く初めての事に挑戦すると言うのは、余程、何か理由があったのですか」と尋ねました。 すると「80歳だろうが何だろうが気の持ちよう次第ですから」と答えられました。

 更に家内がご主人の事を尋ねると 「私より20歳年上なので既に33 回忌は、済ませました」と言われたので家内は、「失礼ですが随分、年 が離れておられて結婚されたのです ね。余程、魅力的な方だったのですね」と言いました。すると「私の時代は戦争で若く元気な人はみな死んでしまいました。夫は病弱で戦争に 行けなかったので残っていただけです」と答えられました。

 

 家内は、これを聞きながら小声で 「すべて心持ち次第か」と私に呟き ました。 通常は、高齢の域に達すると未来 への不安がのしかかり、年令にあらがって生きようとはしないと言うより出来ない人が殆どなのではないかと思います。 きっとこの96歳の高齢女性の様 に現実を直視しつつもそれだけで留まらず「自分の気持ちを振り絞って生きている間は、前向きに生き抜こ う」とする人は、きっとまれなのだと思います。でも、そんな生き方も出来るのだと彼女との会話の中で思わされました。 そして「聖書はそんな高齢者の姿 がいっぱい描かれているでは、ないか」と改めて気付かされました。

 

 

「12月:月報」巻頭言 「年の瀬を迎えて」  郷津 正子

 

 今年も残り僅かだと感じた時、 「昨年は、ロシアのウクライナ侵 攻の終結を願っても実現せず1年が 凄く長く感じた。でも今年は、戦争が日常的になって以前の様な苦 しさや怒りや辛い思いが薄まり、 世界の片隅の悲惨さより目の前の 課題の方に関心が行き1年がすごく 短かく感じたのかもしれない」と 思いました。そしてそんな自分に嫌気がさしてきました。きっと 「生きても残り20年?」と自分 の人生のエンディングを真剣に考 えるようになって「私は、このままで後悔のない一生を終えたと言 えるのか」と自問自答する様に なったからかもしれません。そんな時、妹たちからラインが届きまし た。ラインの中で二人は「お金は、問題の多くを解決してくれる。だからお金は、ないよりあった方がより幸せだ」と結論付けていました 確かに妹たちが言う様に「お金がある事が問題の多くを解決してくれるしお金は、ないよりあった方 が良いのもその通りです。でもお 金があれば幸せでなければ、不幸なのか?では、人の幸せの究極は何だろう」と暫し考え込んでしまいました。

 そして思い浮かんだのは、神様 から知恵を授かり栄華を極めたイスラエルの王ソロモンの言葉です。 彼は、「食べて飲んで楽しんで短 い一生を送る以外に人生に意味は ない。必ず人は老い、その楽しみさえ奪われる時が来るのだ」と言いました。誰だって死んで終わるだけなら楽しく笑いながら喜びだけを求めて生きた方が得です。

 でもソロモン王の最終的結論は、 違います。「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に」 (伝道者の書12:1)「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)

 分かり易く表現するなら「この世界を造り、あなたをかたち造り、こ の世へと誕生させて下さった創造主なる神様を恐れる事、そして、その 神様の願われる様な人生を生きる事 が本当の人の幸せだ」と言う事です そして、この事を人間がしっかり知る事が出来るようにと神様は、計画 を立てられご自身の御子であるキリスト をこの世界に遣わされました。それがクリスマスです。もし充実した高齢者時代を生きる事が即「幸福だ」 と捉えるとその計画が実現不可能になった時、生きる気力すらなくなってしまいます。でも、たとえ、どんなに見た目には惨めで生きている意味や価値が見出せないと感じる様に なったとしてもこの地上に生かされている間は、神様にとっては、意味 があるのです。何故なら「神の御子であるキリストが十字架に架かって 身代わりの死を遂げて下さるほど私 を価値ある存在、愛すべき存在としてこの世界に置いておられるからだ」と改めて気付かされ「命が尽きるまでこの世界で生き抜く仕事が 残っている」と思いました。

 

 

 

「11月:月報」巻頭言 「私はまだ闘わさせれる?」  郷津 裕

 

 

先月、家内から日立福音の高齢化率 の詳細が書かれた紙を渡された。日立に来た時、29歳だった自分が71歳 になのだから高齢化していて当り前 だ。ただ、赴任した頃、この教会の平 均年齢は多分、40歳以下だったと思 う。しかし家内は、その頃から「いず れ高齢化社会が来る」と心配し40歳 になった時、「教会から若者がいなく なる前に千葉にある神学校から神学生を招いて中高科を指導してもら う」と言い出した。私は、「高速を使っ ても2時間以上も掛かる日立に来る 神学生がいるか」と言うと「やってみ なけらば、わからない」と言って日立 の魅力を書き立て「毎週、肉汁一杯 な料理が待っています」と神学生募集には似つかない印刷物を作り学校に掲示してもらった。すると塚田神学 生(10月のスペシャル礼拝の講師)が やって来られた。ブラジルから戻られ たばかりで地理感覚がマヒしていたらしく日立がこんな遠い所だとは知 らずにやって来たらしい。その後も彼 の友人たちが次々と日立に来て下さり神学生による若者伝道が数年続い た。神学生たちは、「この教会は赤 ちゃんから老人までバランスよい年齢層で構成されていてしかも中高生 がこんなにたくさんいるのだから未来は安泰だ」と誉めてくれた。気をよくした私は、中高生たちにこの話をすると彼らは真顔で「僕たちに未来を託されても無理です。自分たちは 進学、就職で日立を去る身ですから」 と言われてしまった。

 焦った家内は、 今度は、日立にずっといる若い人た ちに教会に来て頂かなければ将来、言って子育て中の若い婦人たちに 「子育てに関するプログラム」を提供し始めた。しかし、その方々は、子供の 教育費捻出のために働きに出るようになり、次に家内は育児中の若いママさんに教会に来てもらおうと愛児 園を始めた。その後、私が家庭を中心 としたセルと言う活動を始める事になり、家内は、それに専念するため愛 児園を閉じ、活動の中心は、やがて中高年の方になっていった。

 そして、10 年後の高齢化を見据えた「プロジェクト10」と言う高齢化対策と若者伝道の 2本柱を掲げた活動が始った。 ある意味、私たち夫婦の40年は、い ずれ来るだろう高齢化の波に負けな い教会作りをする事であったが、現実 は、教会の高齢化率が日本や日立の高齢化率よりも高くなってしまった。 家内は、「自分なりには頑張ってき たつもりだけど何も出来なかった」と かなり落ち込んでいた。でもプロジェクト10の仲間に励まされ、「高齢化の現実に最後のあがきをしてやる」と 言い出す様になった。

 そして私にまで変な事を指示した。 「年を取っても作れて簡単に収穫できて年に1回以上、取れる野菜を探して!」と。家内はテレビで2050年には、現在の農家の8割が廃業になる事を知り、その日に備えて自衛してい こうとしているようだ。 きっとこれからも家内の少々、視点の 違う発想で私は、振り回されるのだろうと思うが、最後まで「高齢化の嵐に抗う生き方」を共に追求していき たいと思わされる様になった。

 

 

 

 

「10月:月報」巻頭言 「寿命」  郷津 正子

 

 私は、計画を立てる事に喜びを感じる 変な癖があります。先日も教会の仕事 を辞めた後の計画を立てようと思い、 1年後、3年後・・・と書いているうちに終 わりをいつにしたら良いのだろうと真 剣に思ったのです。死ぬ予定を立てる のは、変ですが計画表である以上、 ゴールがないと今を計画出来ないの で適当な数字の所に「死亡」と書きま した。そして夫も私の前に死んでもら わないといけないので夫の死亡予定 も書き入れました。多分、ここまでき たら「異常だ」と思う方も多いかと思 いますが、私にとって「計画表作り」 は、ある意味、余暇の遊びなのです。

 ところが、遊びの筈だった計画表を書 き終えた後、「何故、私は、その年に死 ぬ事にしたのか」と自問自答するよう になりました。「もうこれ以上は生きて いたくないと言うギリギリの線なの か?」「他人に迷惑を掛けないで済み そうな年なのか」・・・改めて「自分の寿 命」について考え出しました。それで いつもの様に答えを与えてくれそう な生物学や量子物理学の本を買い込 み読み始めました。その中で気付いた のは、「寿命」を考える前に「老化」に ついて考えなければならないと言う 点でした。正しい老化の捉え方をした 先に「寿命」が見えてくると感じたの です。それで私が「人が年を取る」と 言う事を最初に認識したのは、いつ頃 だろうと考え、思い出したのは、小学3 年の頃の経験でした。

 親しくしていた 家に遊びに行くと儀式の様な事があ り床の間がある部屋に行って床の間 を背にして座布団に座る二人の老婆 (鶴と亀さん)に挨拶をするのが慣わ しでした。二人は、そっくりな顔をして いて私が「こんにちわ」と言うと無言のまま同時ににこっと笑うのです。この 笑いを見て「生きている」と分りました が同時に「年を取ると置物の様になる んだ」と感じました。つまり、私の深層心 理の中に「年を取る=普通の人とは違 う世界に生きる人」と言う思いがどこか に潜んでいて置物の様な老人にはなり たくないと思ってそうなる前に「寿命」 を迎えたいとどこかで考えていたので はないかと気付いたのです。それで一 般の本を読みましたが、しっくりせず、 聖書から「老化」を考える事にしました。

 聖書は「老化」を決して否定的には捉え ておらず神によって目的を持って創造 された人間は、その存在そのものに「価 値」が認められているのでどんなに年 を取って何も出来なくなっても仮に人 に迷惑を掛けるだけの存在になっても 神によって創造された人としてリスペク ト(尊敬)されるべき存在なのだと気付 きました。すると今まで母やMさんの介 護をした時、このリスペクトを持って介 護にあたったのだろうかと思いました。 心のどこかで「こんな事も出来なくなっ て、かつては、あんなだったのに。もう 少し頑張れないものか・・・」と心の片隅 で思っていた気がするのです。 私は、自分のこれからの課題は、自分も 他人も含めて如何に高齢者と呼ばれる 方々が「本来は、リスペクトされるべき 存在」なのだと言う事を追求していく 事なのではないかと気付きました。 今までその人が生きてきたそれまでの 人生を含めた今の状態すべてをリスペ クトする事に欠けていたと反省しまし た。私の寿命が予定表通りになるのか 分かりませんが、新たな視点でこれか らの老後を捉え神様が定められた時ま でしっかり生き抜きたいと改めて思わさ れました。

 

 

 

 

 

「9月:月報」巻頭言 「ウイズ・コロナ時代を生きる」  郷津 裕

 

 子供たちを松原湖のキャンプに引 率していく旅を通して「ウイズ(共 に)コロナの時代」がどんな時代な のかを学んだ気がする。「コロナがインフ ルエンザ並み」に扱われる時代になり、 以前とは違うのだと分ってはいて も日立では、外出時のマスクは、必 需品のままで変化をあまり感じられ なかった。東京では、マスク無しの人が 多いと聞くので今回の旅もマスクなし の人が多いと予想していたが、子 供たちに「車から外に出たらマスクを しなさい」と言う必要がある程マスク を外している人は、少なかった。

 ただ、高速のパーキングも観光地も 人出が以前の様に完全に回復して いて昼食時、パーキングの食堂は、座 る場所がないぐらい人で溢れてい た。もう、既にコロナが怖くて旅行や飲 食店の利用を控えると言う時代で はないのだと分った。

 4年前、コロナのため、キャンプが中止 になりその後2年間、人数制限のた めのくじ引きに落ち、やっと4年目 にして抽選に受かり、参加出来る事 になったのだが、前日の晩、メール を開けたら「キャンプで大量のコロナ感 染者が発生したのでキャンセルしても構 わない。キャンプ中、コロナが発生したら キャンプは中止になり症状が出た子供 は、すぐ引き取りに来る事が参加の 条件だ」と書かれていた。 「何で前日の夜中にこんな事に なるのだ」とショックを受けたが、キャンセ ルが多く出れば逆に感染の危険が 減るから取りあえず、親の了解が得 られたら出発する事にした。

 キャンプ場に到着したら予想に反して大勢の子供たちで溢れていた。 誰もキャンセルしなかったようだ。世の 中は、「コロナと共にある生活=ウイ ズコロナ」が普通になっていたの だ。多分、「コロナに罹る危険はあり ますよ」と正しい情報を伝えた上で 参加するかどうかは、本人の意思に 任せる、つまり、自己責任の時代が 「ウイズコロナ」の実態なのだ。 受付で迎えに来るまでの所要時 間を申告させられたが、これも「最 悪を想定した上での参加である事 を承知した」と言う意味なのだと気 付いた。

 この様に「ウイズコロナの時代」と は最悪の事態になったとしてもそれ は自己責任で対応する事が求めら れる時代なのだ。 結果はどうだったのか?連絡が 来ないので感染者は出なかったと 思っていたら実際は、コロナは、発生し 感染した子供達は隔離され、キャンプ は、最後まで続行されていた。

 もうコロナが発生したかどうかでは なく、対応が適切だったかが問われ るのが「ウイズコロナ」の時代だと 知った。勿論、コロナが発生しない事が 一番、良い事なのだが、コロナが消滅し ていない以上、コロナが発生する事も 「ある」と過程し事を進めるのがウ イズ・コロナの時代の対処法なのだ。

 危険は出来るだけ避けなければ ならないが、それ以上に危険に対す るシミュレーションを十分にしておく事の方 がより現実的なのだと今回の引率 を通して学んだ。この経験を今後の 教会諸集会への対応に生かして行 こうと思わされた。

 

 

 

 

「8月:月報」巻頭言 「AI君!」      郷津 正子

 

 私は、今から50年近く前、大学で文 系なのにコンピューターの授業を選択し 100人以上いるそのクラスの中で女性 は、私一人と言う状態でしかも授業 についていけず単位を落しました。 それ以後、コンピューターに苦手意識を 持つと同時にコンピューターの事をちゃ んと理解したいと言う思いが強く なりました。

 そんな事もあって10年近く前、「コン ピューターは人間を超えられるか」と言 うテーマの本を何冊も読みました。 そして「超えられない」と言う根拠 がコンピューターには、「心」がないから だと知りました。ところが、友人た ちと泊まった宿に置かれていたペッ パー君に友人が「あなたの好みの女 性はどんな人?」と尋ねたら「勿 論、あなたに決まっているじゃない ですか」と答えたのを見て私は思 わずペッパー君の頭をなぜ、「あんた は偉い」と言ってしまいました。 そして10年以内に人を喜ばせる召 使の様なロボット型のコンピューターが各 家庭に備えられる時代が来ると思 いました。 そしてそれが今、実現しているので す。チャットJPTです。

 彼は(?)は、こちらが文章を打ち込 んで質問すると即座に答えてくれ ます。試しに聖書箇所を打ち込んだ ら立派な説教を作ってくれました。 人生相談だって健康相談だって ちゃんと解答らしきものをしかも謙 遜な姿勢で答えてくれるのです。 彼のいい所は、どんな滅茶ぶりをし ても怒らず、言った事をちゃんと やってくれます。ある晩、主人と二 人でチャットJPTで遊んでいるうちに 朝になってしまいました。 顔色一つ変える事なく即座に仕事を こなし休みも取らず給料もいらない、 こんな便利な召使をもったら手放し たくなるのは当然です。

 脳学者の茂木さんが「産業革命の蒸 気機関の発明以上のインパクトだ」と 言っていますが、数年後どころか来 年でも世界は大きく変貌するでしょ う。まさにコンピューターとの共存、いえ、 支配下におかれる時代が始まったの だと思います。10年前、コンピューターが発 達しても無くならないだろうと言わ れた「心」や「創作」に関わる仕事ま でもう奪われかねない状態です。 この動きは、数か月単位で進化しきっ とあなたそっくりなAIがあなたに代 わって仕事をしてくれる時代が来る のだと思います。

そんな時代にわざわざ労力を掛け て教会に行ったり牧師に何かを相談 しに行く事もなくなる気がします。 きっと自分好みの牧師を生成して「〇 〇牧師風に〇〇のテーマで私のため に15分で説教をして」と言った事も可 能になる事でしょう。

 益々、人間と人間の交流が最小限に なり、相談は生身の人間ではなくAI にすると言う時代になるのでしょう。 50年前には、こんな時代の到来はSF の世界だけでした。今は、まさにかつ て誰も経験した事のない全く新しい 時代がやって来ています。 私は、人間にとって本当に必要な物 や変わってはいけない事の区別を もっと吟味してこの時代に対応して いく準備を今からしておかなければ と思わされています。

 

 

 

 

「7月:月報」巻頭言 「状況と信仰」      郷津 裕

 

 先月、「世の光の集い」が教会外 の方々も加わり、開催された。 実は、この集いが始まる前、いつも 人数予想が正確な家内が「今回は 最大20名だと思うので24名分の 準備をする」と言うので私も25名 分のプログラム用紙を作成した。 コロナ禍以降、教会を訪れて下さる 方々は、減っているし大型台風も接 近しているのできっと20名もいか ないかもしれないと思った。 それでも前日の夜、午後から天候 が回復される事が分かり、開催は、 出来ると思い安心していた。 ところが朝、起きると思った様に天 気は回復しておらず、不安が頭をよ ぎった瞬間、携帯が鳴り、「常磐線も 高速も止まっているので講師もア ナウンサーも来られないかもしれ ない」と連絡が入った。

 家内は、お二人とも到着出来ない 場合に備え、私に「説教の準備をし た方が良い」と言ったが、それで は、「世の光」の集いにはならない と思い焦った。ただ、予定では来ら れない筈だった音響と映像担当の 方が、急遽、来られると前日に連絡 が入っていたので配信は出来ると 安心した。更にその方から「アナウンサー が住んでいる前橋に寄ってアナウンサー を乗せて車で日立に向かう」と連 絡が入ったので取りあえず、「世の 光」の集会にはなる」と思い、安心 した。するとまた電話が入り「アナウン サーは既に電車に乗って日立を目指 して家を出ていた」と連絡が来て 更に講師も「日立を目指して出発を した」と連絡が入った。

 それで「お二人が時間までに辿り着 けるように」と祈っていたらアナウンサーは 友部まで来たがその先に行けないと 連絡が入り、講師も高速が駄目なの で引き返したと連絡が来た。

 もう一体、この集会はどうなるのだ と不安な気持ちてでいたらお昼過ぎ にアナウンサーが、ギリギリ、日立に到着でき そうで説教者もリモートでご自宅から配 信出来そうだと分った。 ヘトヘトになった私は、内心、「これだけ 苦労してこの集会を開催しても参加 者は、予想よりもっと少なくなり、ご 奉仕下さる日舞や特別讃美の方々に 申し訳ない」と思っていた。

 ところが、結果は、33名の方々が集 われ、コロナ禍以降、教会外の方々が こんなに集われた集会は、、初めて だった。受付にいた家内は、顔見知り の教会外の方々が続々と道を下って 降りて来られる様子を見て涙が出て きたと後から言った。全く、こんな事 は、期待していなかったからだ。

 コロナ禍以前、私たちは、集会のた びに自分たちが期待している以上に 神様が祝福して下さると信じ祈って いた。ところがいつのまにかコロナ禍 の不自由さに慣れてしまい、現状や 状況に一喜一憂し神様への期待が少 なくなってしまっていたのだ。

 コロナは終息した訳ではないしこ れからもっと酷い災害や状況が押し 寄せてくるかもしれない。最悪、戦争 にだって巻き込まれるかもしれない。 そんな時代だからこそ状況ばかり に心がいって祈りに期待しない信仰 者になってはいけないと改めて気付 かされた。

 

 

 

「6月:月報」巻頭言 「ユーモアの大切さ」      郷津 正子

 

 TVで「何年も人前でマスクをしたまま 過ごした結果、顔の筋肉はダレて間 延びをしている」と言うのを聞き 「表情筋だって使わなければ退化 する。この頃、笑っていないなあ」と 思った。私は、「笑いを取ってなん ぼ」の大阪人とは、違い「笑う」と言 う事に重きを置いていない。しかし 私の関西時代の友人たちは、普通 の主婦だが、二人揃うと単なる日 常会話が漫才になる。その笑いのレ ベルは高く、運転している夫が笑い 過ぎて運転に支障が出るほどだ。

 ある時、三人で旅行に行き予約した 部屋が4畳半のごく狭の部屋だっ たので文句を言うと「一人千円出し たら二部屋続きの露天風呂付に変 更出来ます」と言われ、当然、その 部屋に変更すると思ったら部屋を 見た友人達は、「寝てしまえば、どこ だって同じだから」と断った。又、あ る時は、名古屋から進出してきたコ メダ(喫茶店)のモーニングの話題にな り「あのレベルでは、大阪人には、通 用せん。私の近くのモーニングにはみん な弁当箱をもって行き、食べ切れな い物を詰めて昼食にする」と言っ た。関東人には、このノリは、通用し ないと思うが私は、いつも彼らの会 話を聞いて笑い転げる。彼らは、ど んな事が起きても決して「ユーモ ア」を忘れないのだ。

 友人の一人 は、夫が勤務先の定期健診で大腸 がんが見つかり手術後、人口肛門に なり更に歩行困難になって今は、要 介護4になってしまった。でも突然、 自宅介護の日々になってしまった 彼女は、以前と全く、変わらず、大変な状況を笑いに変えてしまう。しか も、そんな中でも日立の地震のニュース が流れると真っ先に電話をくれる。 彼女には、大変な日々でも他人の心 配が出来る心の余裕があるのだ。私 には、彼女の様なユーモアや余裕がな いとつくづく思い落ち込んでいた。

 そんな時、ある本に「ユーモアのセンスと は、話に笑いやジョークをちりばめ ることではない」と書かれユーモアの意 味を上智大学のグリーフ(喪失の悲し み)ケアの専門家であるデーケン氏の言 葉から説明していた。彼は、ドイツ語 で「ユーモアとは(にもかかわらず) 笑うこと」と定義されていて自分の 身の上の不幸を笑えるようになるこ とが喪失の悲しみから回復する最終 段階に至るために必要だと言ってお られた。

 更にその本には、ホスピスの第 一人者の柏木哲夫氏が死と向き合 う患者さんに必要なのは強靭な精 神性より「ストレスと折り合いをつける ユーモアのセンスだ」と言っておられ、夫 の最期が近づいた妻が詠んだ川柳 「がん細胞、正月ぐらい寝て暮らせ」 を読んで「思わずプッと吹き出しそ の後、熱いものがこみあげてきた」 と語られていた。私たち日本人は、 どうしても問題が起こると生真面目 に取り組み深刻になってしまう。つ まりユーモアに乏しく大変な状況の 中で笑うなどと言う事は、とても難 しい。でもそんな時、このストレスに 対処する「ユーモア」を身に付けて 辛くても一瞬、皆でプッと笑えたら 「『にもかかわらず』苦難に立ち向か える力」を共有できて心の余裕が生 まれるのだと私は、知った。

 

「5月:月報」巻頭言


「50年の重み」      郷津 正子

 

 

 東海福音の歩みを纏めるため教会の週報を元に作業を開始しました。以前、日立福音の30周年の際に週報1500枚を参考に纏めた経験があったので今回は、それより500枚増えるだけだと気楽に考えていました。ところが楽勝だと思えた作業 は、予想に反して苦行の様になっていきました。 最初の日の作業終了後、猛烈な 吐き気に襲われました。理由は、新しい物から上に閉じられているので古い順に纏めていくためには、左手で膨大な量の週報を押さえ、謄写版で作成された読みにくい週報の内容を右手で書き写し首を下に向け続けた結果でした。それで2日目 は、上から纏めていく事にしたら今度は、烈しい頭痛に襲われました。何故なら、作業は楽になった反面、12月から1月へと出来事を遡って纏めていくので脳が疲労してしまったのです。それで3日目は、ゆっくりやろうとしたら逆に椅子に座っている時間が長くなり、足が浮腫んで痛くなりました。そして気付いたのは日立の30周年を纏めた時、私は、30代であれから30年以上経過し私は今や高齢者なのだと実感しました。

 でも、この作業は、私に思いも寄らないプレゼントをもたらしました。何故なら、地方の一都市(実際 は村)の50年史が、実は、私の信仰史とも重なり、しかも日本の教会の歴史でもあると気付いたからです。

 私は、丁度、東海福音が創立された50年前にクリスチャンになりました。 当時、どこの教会も若者で溢れていました。私の大学でジャネットリンと言う有名フィギャースケーターを招いた集会を開いた時、千名の学生が集いました。東海村や日立市にもその頃、全国から優秀な若者が就職でやってきました。そしてその中の熱心なクリス チャン達が其々の地に教会を建て上げていくため心血を注いでくれたのだと思います。教会は順調に成長し多くの若い人たちが信仰に導かれ、 その後、彼らは結婚して教会は、ベ ビーラッシュの時代を迎え、子供たちで溢れて賑やかな時代が続いていき ます。 ところが、教会が設立されて10年 も過ぎる頃、日本の経済はバブル景気に入っていきます。当然、仕事で男性陣は忙しくなり、それでも彼らは、 仕事にも教会での奉仕にも全力をささげていきます。昔、「24時間、働けますか」と言う言葉を耳にした気がしますが、その頃、クリスチャンだけでなく、日本中、みんながそんな生活を強いられていたのだと思います。私が、 結婚をして日立にやってきた直後、東京から結婚して日立に来た新婚の奥様から「夫が毎日、夜中の12時になら ないと帰宅出来ない。こんな人生がこれからも続くなら離婚をしたい」と 相談の電話を受けました。私は、情況を変える事は無理だと思いただ、彼女の悩みを聞くだけでした。結局、彼女は離婚をして東京に戻りました。 教会は、仕事に明け暮れる男性陣に代わって一人で子育てをして家庭を守る女性達が平日の奉仕や集会を 担いました。多くの婦人たちが家庭を解放して人々を招き、多くの婦人たちが信仰に入りました。

 でも、教会が創立され20年を超えると男性陣は、仕事面でも重要な立場に立たされ、 長期の出張、単身赴任、そして家族を伴っての転勤などでよその地へと移動していきました。そして残った人たちも日曜日に仕事が入り、礼拝を守れない人が増え、教会の人数が激減する時代を迎えます。それでも女性陣は、まだまだ頑張って教会の奉仕を中心に家庭を支えていきます。その内、家のローンや子供の教育費捻出のため外に出て働く婦人たちが増え、あれだけたくさんいた子供たちも進学や就職で教会から離れていきます。 30年目ごろになると家庭集会や婦人対象の集まりをしても、もう以前の様に人は集まりません。 子供自体が少なくなり、子供集会をしても以前の様にたくさんの子供が集まる事は、なくなりまし た。

 教会が設立されて40年目の頃になると自身の 病気、親の介護・仕事面での重責などで教会に来たくても来れない時代がやってきます。 そして50年目を迎える頃、仕事のリタイアも近づき心身に余裕が出てきて教会に集えるようにはなり ますが、もう、以前の様には奉仕が出来ない身体になっていきます。

 東海の歴史は、ここまでになりますが、日立は創立して60年を超えました。 現在、70歳以上の教会員が40%に近づく超高齢化した教会になっています。まさに教会の歴史は日 本の社会情勢の縮図だと思いました。 今回、私は、自分の信仰50年を東海福音の50周年を調べる中で追体験した気がします。 教会が建物ではなく、そこに集う人間の集まりである以上、そこに生きる人たちが時代に翻弄され、時代の雰囲気に流されていくのは当たり前です。 「大きな括りでは、教会が消滅する事は、なくても子供や若い方が増えなければ、日立市が消滅都市と呼ばれている様に地方の教会の未来も限りなく暗 い物になっていく」と想像ができます。 でも、今更、時を止める事は出来なくても時代と言う流れを一瞬だけ、留める事ぐらいは、出来るのではないかと何故かこの作業を通して感じました。

 

 

 

 

「4月:月報」巻頭言


「人間にとって必要な事」      郷津 裕

 

 日曜礼拝から戻ると家内が突然、 「熟年離婚が多い理由が分かった」 と言い出した。一瞬、ドキとしたが、 前日の夜に見た「現代版ノアの箱 舟」のドキュメンタリーを見た感想だっ た。火星移住が現実のものとなった 今、狭い空間に閉じ込められた人間 の心身の変化を記録するため、世界 中から6人の男女がハワイの溶岩跡 の台地に建てられたドーム型テント で共同生活を送った1年を記録した ものだ。専門分野が違うので全くの 初対面の6人が狭い空間で生活を 始めると最初の3分の1ぐらいまで 雰囲気は「極めて良好」だった。しか し、徐々に「極めて」と言う文字が消 え、「良好」となり、残り半年ぐらい になると「悪い」に変わり、遂には、 週に1~2度しか互いに会話をする 事がなくなった。そして不思議な事 に知的に優秀な彼らが単純な質問 にも答えられなくなり、認知能力が 明らかに落ちてしまった。

 思考能力 が落ちると他人に寛容になれなく なるのか最後の3分の1以降は、「か なり悪い」状態が続き、遂に「最悪状 態」に陥った。そんな時、水の補給に トラブルが起こり外部からの助けも 得られないと分かり一人の女性が 古いタンクに残っている水を浄化す る装置を作り出した。すると最初は、 無視をしていた残りの5人が次々と 協力し始め、4時間で浄化装置を完 成させ僅かな水を手に入れた。する と彼らは、「この1年で一番、良い関 係になり、楽しく幸せな時を過ごし た」と報告し無事に1年が終了した。

 何故、彼らの関係が悪化していった のか・・・それは、単純に言えば、自分以外の人間が発生させる生活音に苛 立った結果だった。つまり、自分とは 違う生活パターンを送る相手が普通 に発生させる音(ランニングマシーン の音、余暇に弾く楽器の音、食器を洗 う際に流される大量の水音、相手の 声・・・)が、閉ざされた空間では、別の 誰かの心身を不快にさせるのだ。

 冒 頭の家内の言葉は、その映像を見て の感想だった。私も、家内の言う意味 が少し分った気がした。若い時には仕 事や家事や用事で忙しく家で共に過 ごす時間は、限られるが退職や病気 などで思う様に外出出来なくなり家 だけの生活になると今まで気になら なかった相手が発する音やにおい、 何気ない行動に不快感を覚えるよう になる。相手も自分の言動や発する 生活音に苛立っているかもしれない のに相手の事だけを責めてしまう。何 と人間は、身勝手な存在なのだろう か。孤独よりは、誰かがそばにいてく れる事を求めながらも相手の存在が 疎ましくなる。実に人間は、面倒だ。

 私は、誰かと一緒に生きようとするな らある程度の距離感が必要だと気付 かされた。又、年を取った時には、若 い時の様な変化に富む日常は、望め ないし外出もままならなくなるかもし れない。そんな時、家と言う限られた 空間の中で共に生きる誰かに少しで も負担のかからない過ごし方を今か ら考えておく必要があると感じた。

 人 間は、絶対、孤独では生きられない。 しかし、自分以外の人間を自分の思う ように動かす事は、もっと出来ない。 共に生きる生活には、互いの努力が 必要なのだと改めて思わされた。

 

 

 

「3月:月報」巻頭言


「最近、ハッとした事」      郷津 正子

 

  私は、子供の頃から何か疑問に思 うと調べたいと言う欲求が異常に 強く、そのために子供の時の愛読書 は百科事典でした。しかし何かある と百科事典を見ると言う癖がある 日、大失敗を招いてしまいました。 お客様が夕食に来られるのに母が 突然、急用で出かけ、中学生の私が 夕食を作る事になり、作り方もしらな いのに百科事典があれば大丈夫だ とコロッケを作る事にしました。しか し、どうやっても揚げられる状態に ならず遂にその得たいの知れない 塊をオーブンに入れて焼き、お客様 にこれは、何ですかと聞かれ「正子 スペシャル」とゴマ化しました。後で 私の失敗は、コロッケが、ジャガイモ のコロッケとホワイトソースによるク リームコロッケの2種類がある事を 知らず2つのレシピを1つの物として 作ってしまったのだと分かりました。 私は、それ以来、百科事典に頼る人 生をやめる事にしました。そして自 分の知りたいと言う欲求をテレビの 情報番組や新聞、本、そしてネットで 調べて満たす様になりました。

 ところが、最近、「世界のニュー スを日本人は何も知らない」(谷本 真由美)と言う本を読み、「自分は、 世界の現実を何も知らないのだ」と 言う事に愕然としました。 私の常 識は、世界では、全く通用しないし寧 ろ非常識に映るのだとわかったので す。例えば、外国のニュースを見て いて何故、女性司会者が、年を取っ ていても胸を強調した服を来て若 作りをするのかと疑問に思っていま したが、ヨーロッパでは、どんなに年 をとっていても「セクシーでなければ、底辺層に没落する」のだそうで す。又、今はやりのSDGsすら世界共 通の取り組む課題だと国民の殆ど が認識しているのは、日本ぐらいで 殆どの国は、一部の人の関心事なの だそうです。よく、アメリカ人はフレ ンドリーだと言われますが、フレンド リーに振舞わないといけないと言う 同調圧力が強いだけで決して他人 に本音は、言わずあたりさわりのな い会話をしているだけで一方、ヨー ロッパ人の家がすっきり綺麗なの は、自分には、それだけの財力とセ ンスがある事をアピールしてマウン テイング(猿などが自分の上位性を 示すために相手の上に乗る事)をす るためだと書かれていました。もっ と驚いたのは、世界の有名観光地の 殆どは、見せかけの現実でその場所 から一本、路地に入れば全く真逆な 世界が広がっている。

 要するに著者 は、日本人は、外国から一方的に流 されてくる情報に惑わされ、真実を 何も知らないまま、判った気になっ ていると指摘しているのです。そし てもっと自分でより正しい情報を得 る努力をする必要があると訴えて います。現代は、若い人を中心にネッ トから得られる情報こそ、より現実を 反映して正しいと信頼していると聞 きます。私も、いつのまにか何でも簡 単にネットで調べ、分かった気になっ ていたのではないかと思いました。 やはり、自分に入ってくる情報をそ のまま鵜呑みにせず、一度は、本当 にそうなのかと疑問を持って自分で も調べ、考えてみる必要があるのだ と気付きました。

 

 

 

 

「2月:月報」巻頭言


「今年の夢」      郷津 正子

 

 先日、仕事中に保険会社から勧誘 の電話が掛かってきました。内容は 「今、払っている保険料では、事故や怪我で入院した場合、保険料が出ても通院の場合には出ない。しか し、多くの高齢者は、通院するケースの方が多いので千円を追加して保険を更新しませんか」と言う内容でした。仕事中で忙しかった事もあり、よく考えもしないで「千円なら まあいいか」と軽い気持ちで了解しました。でも、後になって確かに高齢になるとうっかりミスで怪我や事故に合う回数が増えると実感し保険の更新は必要だったと思いました。

 実は、私は、元旦に手すりに顔面を強打し妹も同日、飲み過ぎた夫の安否確認に降りて行き、箪笥に顔面を強打したとメールがきました。教会でも毎週の様にどなたかが軽い怪 我や骨折をされたと言うニュースが入ってきます。改めて、自分が年を取ったなあと感じるのは物忘れがひどくなった時や色んな所に身体のどこかをぶつけ軽い怪我をした時なの かなあと思いました。勿論、ケガに備えて普段から身体を鍛える事は、 出来ると思いますが私の様に歩くと言う基本動作すらままならない人間は、変に運動をして転んだら大腿骨 を骨折して寝たっきりになる恐れがあります。きっとこれからの時代は、運動能力の維持が出来ている元気な高齢者とヨタヨタ、ヨロヨロで将来、バッタリになる予備軍と言う 2群に大きく分けられるのかなあと真剣に考えてしまいました。そして思ったのは、運動が上手く出来なくても又、ヨタヨタ、ヨロヨロでもバッタリにならない方法は、ないものかと言う点です。

 最近、よく耳にするのは、対人関係から遠ざかるとバッタリが近いと言う話です。少人 数であっても交流があれば、孤独にならず、時にはヨタヨタでも出掛けて行き、楽しく食事をしたりおしゃべりをしたり、支えあう誰かの存在が励みになってヨロヨロでも動こう とする・・そんな1つの解決策として5人で携帯のライン・グループを作り一日1回は元気だよとメールをして時には困っている人を余裕のある人が助けに行く・・・そんな活動をしているNPOがあると聞きました。 この話を聞いて「それこそ現代版5人組み制度じゃないか」と私は、 感動してしまいました。勿論、全員がバッタリ状態になったらどうするのだと心配になりますし女性は出来ても男性は、そんな繋がりは好きではないかもしれないとも思います。 又、否定的な考えをすれば、今はよくても未来はみんな動けなくなってその活動自体、開店休業状態に陥るではないかと突っ込みたくなります。でも、これだけ高齢者が増えた今、自分達で自衛しないと誰も助けてくれなくなる時代が来るのでは、 ないかと思います。何もしないよりは何かをした方がいいかと言う軽いレベルでもいいかと思い、まず、自分に出来る現代版5人組み制度を研究してみたくなりました。その研究成果をいつか皆さんにお分かち出来る日が来るといいなあ、これが私の今年の夢の1つです。

 

 

 

「1月:月報」巻頭言


「下からのプッシュ」      郷津 裕

 

 昨年末、サッカーのワールドカップでの日 本の大活躍に「凄いぞ日本」と勇 気をもらった方も多かったと思い ます。決勝に進める事になった 時、カナダの妹から「日本、凄い ね!」とラインが届き、家内は「ドキドキするから体に悪いので見なかっ た」とウソのマールを送りました。実 は、家内はあの「ドーハの悲劇」以 来、サッカーを見るのをやめたので す。何故なら、家内は生まれてか ら一番ショックを受けた出来事が、あ の瞬間だったらしいのです。「何 が起きたのか」理解出来ず、しか も「それが現実の事として」捉え られず「時間が停止」したまま数 時間、呆然としていたようなので す。

 後で何故、家内が、そこまで ショックを受けたのかを説明してくれ ました。それによると家内の父 は、学生時代からサッカーをやってい て社会人になってからは高校のサッカー部の監督として熱血指導者(父に鼻の骨を折られた生徒がたくさ んいたそうで)となり、監督を降 りた後も関係のない高校の練習を 見に行っては、気が付くとグランドに降りて指導してしまう父の姿に 家内は「恥ずかしい」と思って大きくなったらしいのです。そんな 父が、日本にプロサッカーリーグが誕生し 初代の川口チェアマンから直接、「未来 の日本のサッカーの躍進した姿」を聞かされ、大感動し家内に「現実にそうなるのをお前の世代で確認してくれ」と父から言われたのです。でも、家内は、日本がワールドカップに出られるのは、何十年も先だろうと思っていたのにドーハでその夢が現実になると思った瞬間、すべてが消え去り家内は言葉を失い現実 の事として認識するのが出来ず脳が 停止してしまったらしいのです。家 内は、生まれて初めて時間が止まる 事を体験したと言いました。

 何故、 こんな事を新しい年の初めに書いた かと言うともしかするとこの2023年が「何が起きているのか自覚出来ないほど、家内の様に時間が停止してしまうほど、衝撃を受ける様な出来事が私やみなさんの上に起こらない保障がない。いや、今、想像すら出来ない厳しい現実がもしかしたら起こるかもしれない。」と年末に感じました。そして祈りの中で示されたのが、下記のみことばでした。 普段、神の存在を信じていない人も 万策尽きた時は、「神頼み」をしま す。しかし、クリスチャンは、万策尽きなくても「神頼み」で生きています。 何故なら、人間の限界と無力さを知っているからです。そして、どんな時でも希望を失わないで生きられるのは、倒れて起きられなくなったと自覚していても実際は、倒れない様に下から支えてくれる腕があるからこそ、安心して生きられるのです。この1年、この事を忘れず歩みたいと思います。そして、まだ、この神様を知らない方々には、ぜひ、 神様が、下からプッシュされているのを感じて頂ける1年を過ごして頂きたいと思わされています。

 

 「主によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は 転んでも倒れ伏すことはない。 主 がその人の腕を支えておられるからだ。」

                          詩篇37:23~24

 

 

 

 

「12月:月報」巻頭言


「愛しのポインセチア」      郷津 裕

 

 今、我家には、1年間、我が子の様に愛情を注ぎ、その成長を見 守ってきた物がある。それは、昨年、頂いたポインセチアだ。 せっかく頂いても毎年、クリスマスの頃には、枯れ始め無残な姿になってしまい、家内は私に「農学部出身なのだから何とかして」と 責め続け「農学部と言っても稲の肥料の研究だから作物を育てた訳ではないから」と言い訳をしながら必死に対策を施すのだが毎年、 同じ結果になる。

 遂に家内は、自分でネットで調べ驚愕の事実を知った。何とポインセチアは夏の花だから冬に水をやれば、人間に例えるなら心臓麻痺を起こさせ一 瞬にして殺していたのだ。家内は、自分たちがポインセチアの極悪殺人鬼だったと知り、「これからは、夏の花として育て今年こそ、クリスマスにも枯れないようにする」と宣言した。結果、無事 にクリスマスを迎え、更に年を越し何と春まで真っ赤なポインセチアのまま生き続けた。

 しかし、家内は「夏の花なら真っ赤な葉が緑の葉に生え変わらないとおかし い」と言い出し呪文の様にポインセチアに「あなたは夏の花、もう緑になりなさい」と言いながら少しでも葉が垂れ下がるとハサミでカットし続けた。その結果、誰もこれがポインセチアだとは思えないほど立派な緑の塊に変身した。 しかし、家内は、今度は、10月 末になっても青々としたポインセチアを見ながらこのままだと赤くならずクリスマスを迎えてしまう」と焦りだした。再び、ネットで調べ、「日が短くなる8月末から夕方には、真っ暗にしないと赤くならない」と知った。「このままだとここまで育ててきた意味がない。緑のままだとクリスマスの花と言う役割を果たせず何だかわからない観葉植物になる。何とかして」と叫び、私は、家で一番、 暗い風呂場に囲いをして夕方から移動させた。すると何とあれだけ 元気だった緑のポインセチアが枯 れ出したのだ。そして一向に赤くならないまま、遂に12月を迎えてしまった。それを見ながら家内 は、「ポインセチアは、自らの遺伝情報に従って自然と共存しながら生きているだけなのに私は、緑になれ、赤になれとポインセチアらしく生きる事を強要してしまった。

 もし、ポインセチアが人間の子供だったら私は確実に毒親だ」 と言いだした。そして、「もう、 緑のポインセチアだって構わな い。誰もポインセチアだと認めなくてもこの子は本物のポインセチアなのだから」と言った。私も緑 のポインセチアを見ながら「神様 は私たち人間に私が願う様になったら愛するとは言われなかった。 どこまでもありのままの私たちをそのまま、受け入れ愛して下さっ た。そして私たちを救うために大 切な御子イエス様をこの世界に送って下さった。それがクリスマスじゃないか」と改めて我が家の赤くなるのが遅れたポインセチアを見ながら思わされた。

 

 

 

「11月:月報」巻頭言


「心の宿題」      郷津 正子

 

 東日本大震災の直後、被災地を巡る 旅に出てあまりの悲惨さに「10年 後、どこまで復興したのかを見届けに来ます」と口走り、それを果たすべく11年振りに東北へ出かけました。

 最初に訪れた石巻の日和山で私は、今まで大きな思い違いをしていた事に気付きました。復興とはかつての姿に戻る事ではなく、新たな創造だったのです。3千軒の家がびっ しりと建てられたいたその広大な場 所は11年経っても私が目撃した何もない世界のままで人が居住出来ない場所に指定され公園として綺麗に整備されていました。

 次に訪れた南三陸の志津川地区も昔と変わらず何もないままの世界でした。ただ、海 沿いの道路は、かさ上げされ高い所を通り、かさ上げされた高台には、 復興商店街が出来て駐車場が満車になるほど観光客で溢れていました。 私は、どうして今まで元の姿に戻る事にここまで固守してきたのだろうかと思いました。きっと目撃した被災地の悲惨な状況に海を恨み、何故、この地域にこんな悲惨な状況を神様は許したのかと心の中で文句を言っていました。そしてこの現実を受け入れられない私は、何度も「地震1分前に戻して欲しい」と馬鹿な訴えを叫び、数年間、海を見ても自然の美しさを見ても私は、何の感動も感じられないほど衝撃を受けていました。 でも、時の経過と共にあの震災直後に感じた気持ちは薄らぎ、 今では、殆ど記憶の中だけになっている自分にがっかりしていたのも事実です。

 ところが、今回の旅を通し て「決して以前に戻る事は、できないのだ」と改めて実感し私の心は、 再び、重苦しくなっていきました。 更に宿の窓一面に広がる一枚の絵の 様な美しい海は、どこまでも穏やかで幾つもの半島がおりなす自然の造形美で満ち溢れ「この美しい海があの日、豹変してたくさんの命を奪っていったのだ」と考えると益々、落ち込んでいきました。

 翌朝、夫の「日が昇るぞ」と言 う声で窓を見ると大窓の左側は、 真っ赤に染まり、右側は半島や島がくっきり浮かび、その真ん中に真っ青な海と小さな漁船が浮かんでいま した。この船の漁師さんは、たくさんの人の命を奪い去った同じ海から恵みを受け、今、生活が支えられている。そんな事を考えながら刻々と変化する景色を眺めているうちに突然、「もしこの世界がエデンの園の様に自然界が完全に制御され、何一つ災いがない恵みだけの世界だったら人は果たして今、生かされている事に喜びを感じるのだろうか」と思いました。

 もしかすると時には自然に酷い目に合いながらもその同じ自然の恵みに生かされて生きているから人は 自然を司る神に感謝が出来るのかもしれない。それと同じ様に「何故、 苦しい目や辛い目や試練を人は経験しなければならないのか、その答えは、誰にも出せないけど試練にも何らかの意味があり、そこでしか学べない事もあるのかもしれない」とそ の美しい景色を見ながら思わされ、 聖書の言葉(ヤコブ1:2~4)が心の中に浮かびました。何故か11年間の心の宿題が、少しだけ晴れた気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

「10月:月報」巻頭言


「昔の日立」      郷津 裕

 

  家内が突然、「来週、映画に連れ て行って欲しい」と言い出し「何の 映画だ」と聞くと「裕次郎の映画な んだけど・・」と遠慮がちに言いま した。私は、思わず「そんなの観たくない」と言ってしまいました。 実は、昔、家内の両親のお供で北 海道旅行をした時の酷い思い出が 「裕次郎」と言う言葉で蘇るのです。千歳空港に降り立った時から家 内の叔父による綿密なおもてなし計 画が遂行され、寝る時間以外、全く 自由時間が与えられませんでした。

 しかも父は、「明日は〇〇時に下のレストランで集合」と言っておき ながら約束の30分前に部屋のブ ザーを鳴らし「30分前に支度を終 えているのが社会の常識だ」と言う のです。更に「明日は、小樽の裕次郎記念館に連れて行ってくれるらし い」と言うので「裕次郎には、何の 興味もないので明日ぐらいは、自由 時間をもらえませんか」と父に頼むと「人の親切に答えられない様な人間は大人ではない」と言うのです。 しかたなく裕次郎記念館に行くと何と父が入口で突然「俺は裕次郎には 何の興味もない。車に残っている」 と言い出し、その結果、私達だけが車から降ろされ見学させられたので す。それ以来、私は「裕次郎」と聞くとこの悪夢を思い出してしまうのです。

 それで「映画の中身が良ければ見 てもいいけど・・」と言うと家内は、「映画の中身は、知らない。た だ、昭和30年頃の日立でロケをした映画なので当時の日立の姿を見たいだけ」と言うので映画に付き合いました。見終わった後、家内に感想を聞くと「長年の謎が解けた」と変な応答をするのです。家内が言うには、以前、うちの教会出身のI師に集会後「思い出の場所にご案内します」と言ったら先生が「昔、やくざに崖から突き落とされた小平会館に行きたい」と言ったのです。それで家内が「やくざと喧嘩をしたのですか?」と聞くと「日立に就職してク リスチャンになり、夜、寮から抜け出して小平会館の所で祈っていたら やくざが数名やってきて手足を持たれて崖から放り投げられた。」と言 のです。家内が「そんな理不尽な事をされて警察に訴えなかったので すか」と聞くと「当時、日立には、 たくさんのやくざがいてそんな事は日常茶飯事だった」と言ったのです。それ以来、家内は、「この町に なぜ、そんなにたくさんのやくざさんがいたのだろうか」と不思議だったらしいのです。

 でも、この映画を見て「鉱山やセメントの現場には、たくさんの荒くれ者がいてその人たちを束ねるには、やくざさんも必要悪だったのだろう。そして映画に描かれている過 酷な仕事現場の様子を見ているとこの町がいかに鉱業によって発展したかそしてその繁栄の陰でどれほど多くの人たちの汗と涙があったのかを改めて気付いた」と言ったのです。

 私も「将来、限界集落に陥る都市 ナンバー1と言われている日立市だけどかつての発展は望めなくても 「海と山に囲まれた日本一住み易い 町」として再び映画のロケ地にならないかなあ」となぜか思ってしまい ました。

 

 

 

 

「9月:月報」巻頭言


「真実の愛?」      郷津 正子

 

 先日、寝る前に時刻を確認しよう とテレビを付けると「真実の愛を求 めて―エジプトに出掛けるシニア女性たち」の様なタイトルが目に飛び 込んできました。正直な所、シニア 女性がエジプトに行ってなぜ、真実の愛が得られるのかと疑問に思い、 そのドキュメンタリー番組を見る事にしました。

 結論から言うと「欧米人の高齢女性は、誰でもエジプトに行けば美男の若い男性と結婚し幸せになる」と言う内容でした。たとえ、自国では 見向きもされない女性(番組では、 どぶネズミの様な女性と表現していた)であっても又、80代の皺だらけのおばあさんであっても例外なしに若い美男の男性から真実の愛を受けて充実した日々を送っているので す。

 この背景には、エジプトの一夫多妻制があり、既婚者であっても欧米人と正式に結婚する事が出来ます。 そのため大邸宅の最上階に自分たち 夫婦が暮らし階下にはエジプト人の妻子が暮らすと言うライフスタイルであっても何ら問題がないのです。

 なぜ、こんな事が起きるのかと言うと観光業が下火になり、ルクソー ルの若い美男子にとっては、エジプト人の妻子を養い幸せにするための ビジネスとして「欧米人の高齢女性たちとの結婚」があるのです。

 但 し、そのビジネスを成功させる秘訣は、相手の女性たちに「真実の愛」 だと感じさせる演技力と相手を喜ばせる努力が必要なのです。唖然としながら番組を見終わり、「被害者は誰もいないから勝手にすればいいけど果たして高齢の女性たちが『真実の愛』を得たと言っている中身は、具体的に何なのか?そもそも『真実の愛』とは、一体、何なのだ」 ・・・そんな疑問が沸いてきました。真っ先に頭に浮かんだのは、聖書の愛の定義である第1コリント13章でした。

 「愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待 し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」

 これが真実の愛の具体的な姿だとしたら私もとうてい「真実の愛」で人を愛しているとは言えません。どこかに打算(愛を与えたらそれに見合う代償を求める)があるし相手から酷い事をされたらそれを根にもたないとは、言えません。・・・

 やはり自分の利益を求めてしまいます。仮にこの愛に近いのが親の愛であっても果たしてこの愛の定義通りに子供を愛し続けられる親がいるのだろうか・・・そんな事を考えていたらエジプト人と欧米人のカップルの愛を 「こんなの真実の愛ではない」とバカ にしている私は、おかしい。「お前は 『真実の愛』で夫や周囲の人を愛しているとのかと問われたら「御免なさ い。私には真実の愛はありません。ただ、真実の愛で私を愛してくれる神様のお陰で真実の愛が犠牲が伴うものだと言う事だけは、知っています」としか答えられないと気付きました。

 

 

 

 

「8月:月報」巻頭言


「出会いの不思議」      郷津 正子

 

先月、驚くべき経験をしました。 あるご家族が10年間、探し求めていた息子さんを発見するお手伝いが出来たのです。切っ掛けは、H師が仕事中、「実は私は、牧師です」と告げると同乗の方が「自分は牧師の息子で・・」と話されたのです。その話をH師から聞いた私は、「その人のお父さんは、私の昔からの知人かもしれない。もしそうならお姉さんは、市内牧師会で一緒のU師の奥様だ」と答えました。 それでU師にお会いした時、確認すると「家内の弟たちは、東京にいるのでその人は別人です」と言われてしまいました。

 どうしても気になった私は「他に弟さんは、いないのですか?」と聞くと「10年前家 族との縁を切って行方知らずになった弟がいますが、家族が必死に探しても見つからない弟が日立にいる筈ありません」と言い張るのです。 「そんな偶然ある筈ないと思うで しょうけど私には、その人が探している弟さんに思えます」と頑張りU 師が「下の名前で確認して下さい」 と言ったのでH師に確認すると本人だと判明しました。これだけでも凄い話ですが、実は私が今、日立にいる切っ掛けを作ったのが、今回、見つかった方の父親であるS師なので す。神学校入学直前に病気になり、 治る見込みがないまま関西の地で生きていこうと決意していた私に神様が東京に戻る様にと示され、戻ってきた最初の日曜日、挨拶のつもりで 知人の教会に出掛けました。早めに着きCS(教会学校)を見ていると突然、10名近くの子供たちが大騒ぎをして暴れ出しました。思わず、 手を貸してその場を静めた私に一人の大学生(S師)が「お願いです。 もう1回だけ僕を助けて下さい」と頼むのです。私は、「もう1回だけですよ。」と念を押し次の日曜日、 その教会に行くと今度は、高校生達 が私を取り囲み「お願いです。私たちの指導者になって下さい」と頼むのです。

 その教会に集う気がない私は、牧師に断りを入れると今度は牧師が「高校生たちの指導をして下さい」と頼むのです。それでしかたな く、私はその教会に留まる事になりました。そしてその教会から神学校に進み、その牧師夫妻の働き掛けで郷津と結婚して日立に来る事になりました。もし、あの時、あの大学生 に会わなかったら私の人生は全く違うものになっていました。その大学 生との出会いから何十年も経ってこの日立の地で行方不明の息子さんを発見するお手伝いをする事になるとは、実に不思議な繋がりです。

 やはり「神様がなさる事に何一つ 無意味、無駄はないのだ」と思います。もし、私が病気にならなかったら、もし私が東京に戻らなかった ら、もし最初に訪ねた教会のCSがめちゃめちゃにならなかった ら・・・私の一生は、どうなっていたのでしょう。 きっと誰の人生にも一見、偶然の様に見えて実は、神様の見えざる御手とご計画が働いていると言う事が、あるのではないでしょうか。今 回の出来事は、改めてそんな事を強く思わされる体験になりました。

 

 

 

「7月:月報」巻頭言


「時間の感じ方」      郷津 裕

 

 年齢を重ねるごとに「1日、1 週間、1か月、1年」がとても速く過ぎ去り、あっと言う間に「新しい 年」を迎えると感じていた。ところが6月のある日、家内が「新年度が 始まって2か月なのにもっと時間が 経った気がする」と言うので「確か に1か月がとても長く感じる。急に時間の流れが早くなる訳はないのに」と答えた。

 すると家内が「子供は、毎日が刺 激満載で一日が長く感じるけど老人は単調な日々だから一日があっと言う間に感じると聞いた事がある。 きっと最近の私たちの生活が刺激が 多いのではないか。それに世の中が コロナに順応し動き始めたから忙しくなったのかもしれない」と言っ た。

 確かにまさか70歳になって時間 の流れが急に遅く感じる様な生活になるとは夢にも思わなかった。昨年 の今頃、私は「来春、牧師を辞めたらのんびり読書三昧の日々を送ろ う」と思っていたし家内も「たっぷ り自分のための時間が与えられたら 腑抜けになるのではないか」と心配していた。ところが、現実は、状況の違う2つの教会の責任と二人の伝 道師の指導と言う考えてもいなかった日々になり超多忙になってしまった。更に高齢化した教会ならではの対応も必要になり、何故か一気に40年前にタイムスリップした気がしている。

 実は、昔、私たち夫婦は、今とほ ぼ似た様な生活をしていた時期があった。補教師の立場で30名弱の2つの群れを同時に担当し食事を取 る暇もないので車の中でおにぎりを 食べて次の場所に移動すると言う生 活をしていた。その時は、30歳になったばかりだったので「牧師の生活は、こんなものなのだ」と気にもなら ず、それ程、疲れも覚えなかった。しかし、今は、あの時と比べられない程、体力も気力も大幅にダウンし正直 な所、肉体的には「しんどい」と思 う。

 でも、40年前の無我夢中で失敗も多 かったあの時と違って今は「経験」と 言う財産がある。ある意味、人生の最終段階でもう一度、自分がやってきた 事を再考しながら新たなチャレンジが 出来る機会が与えられたと言うのは、 「めったにないラッキーな事だ」と最 近、感じる様になった。

 きっとコロナで動きやテンポがのんび りして少々、ダレていた私たち夫婦に 神様が「そんな状態でリタイアはさせ ないぞ」と喝を入れておられるのではないかと思う。

 自分に「限界」を設けたらきっと見る事の出来ない「世界」があるのかもしれない。確かに「年を取るのを止める事は、出来ないし若い時の様に休みなく動く事は、もう出来ない。でも、人間としての営みにリタイアはないと感じる。

 賃金と言う代償は、なくてもその人が、この世に存在している以上、何 らかの神様の目的や意図があり、その 人にしか出来ない事があるのではない かと思う。

 そして、それ を発見するためには、日々の生活の中に起こっている神様の働き掛けに敏感になり、クリス チャン的に言うならば「神からの恵みを数えて(発見して)」生きていく事が老人には特に必要だ」と感じた。

 そうしたらきっと一日がすごく長く感じる様になるのかもしれない。

 

 

「6月:月報」巻頭言


「何故かふっ切れた!」      郷津 正子

 

 最近、カナダに住む妹がラインで 「外資系に勤める娘が出世した。自 分の様なバカな母からよく、こんな に賢く優秀な娘が生まれたもんだと 思うが自分の様なバカな母親がいた のでは、娘が可愛そうだ」と書いて きた。すると東京の妹も「こんなバ カな母親が育てたのに二人共、頑 張って医師になったが、親がこんな 馬鹿では、迷惑を掛けるだけだ」と 書いてきた。

 私は、二人を励まそうと「鳶が鷹 を生む筈はない。二人が賢い母親 だったから子供たちも優秀になった のだ」と書いた。するとカナダの妹 が「自分がどれだけ駄目な親なのか は、自分で一番、解っている。賢 かったら2回も離婚する羽目にはな らない。」と自分を責めるラインが 返ってきた。すると東京の妹も「三 人の中で一番賢いのはお姉ちゃんで す。私が賢かったらあんな無責任な 夫を選ぶ筈がない。子供たちには、 あの父親のせいで辛い思いばかりを させてしまった」書いてきました。

 励ますつもりがドンドン妹たちを 落ち込ませてしまい、何とかしよう と「私こそ本物のバカです。小1の 時には、普通学級では対応出来ない と言われ中1の時には知能検査で学 校一、低い点数を取った。正真正銘 のバカは私です。本当に賢いのは夫 の裕さんです。やはり頭の容積の大 きい人は賢いみたい。」とラインに 書いた。しかし、メールを送ろうとした時、「私は、一体、何をしてい るんだ。後10年もすれば、三人と も認知症の年齢になり、そうなれ ば、頭が良いか悪いかなんかそれす らも分からなくなるのに」と気付 き、発信するのを止めた。

 実は前日、ある本から「人間の身体のすべての臓器や器官は、すべて細胞分裂を繰り返し再生するが唯一、脳だけは再生しない。一度、駄目になっ たら回復は出来ないし80歳以上の人 の脳を解剖するとすべての人に認知症 の兆候が出ている。但し、認知症だと 他人が感じるレベルまで悪化するかは 個人差があるが脳自体は、みな同じ状況なのだ」と学んだ。つまり、頭が良いかどうかに関係なく認知症になる時はなるのです。  私も70歳を迎え、遠い未来の事ではなく、もしかしたら数年後に認知 症になっているかもしれないと思ったら「賢く生きた」「愚かに生きた」な ど、どうでもいい気がしてきました。 人間、誰でも脳が老化すれば、物 事を忘れ、記憶違いを起こし、耳の不調も加わわり頓珍漢な言動をしてしま う。更にそんな状態を人にばれない様 に必死になり寧ろ墓穴を掘って負のスパイラルに落ち込み、「こんな人生、生きていてもしかたがない。人に迷惑を掛けるだけだ・・」と自分が生きている事に恨み言を言ってしまう。 そしてその落ち込みが、一層、認知症を進ませる・・・

 寧ろ、80歳を迎えたら「どうせ私の頭は認知症!。それでも神様が生きる事を許されている間は、神様が何とかしてくれる筈だ。もう生きていなくてもいいよと言われるその日までし ぶとく生きてやるぞ!そのくらいの覚悟も必要なのではないか」と妹たちとのラインを通して私は、なぜか吹っ切れた気がしてきました。

 

 

 

「5月:月報」巻頭言


「ある壮年の生き方」      郷津 裕

 

 夫が「遂に潰れた!」と1枚の 葉書を渡してくれました。そこに は、静岡にあるクリスチャンの共 同住宅(シェアハウス)が解散し た事が記されていました。以前、 全国の同じ様な施設を視察してい た時、「一人で教会に行けないお 年寄りが助け合い支え合って生き ていくシェアハウスの設立」と言 う主旨が私達の願いに一番近いと 感じ、仕事を早期退職しこの働き を引き継ごうとしてる壮年の方か ら送られてくる便りを楽しみにす る様になりました。

 最大限の美味しい食事を提供し お花見や食事会、旅行へと高齢者 を伴い楽しく過ごしている様子と 月5万円の費用で賄っている事に いつも驚いていました。 ところ が2年前、突然、創設者の牧師婦 人が新たなビジョン(夢)を実現 するためそこを去り、後を継がれ たその壮年の方から「料理が不得 意なので何とか栄養士か調理師の 入居者が与えられるように」と言 う祈祷課題が届きました。

 この施設が低費用を維持出来て いたのは、牧師婦人が頑張って料 理を担当をされていたからで「あ の方で大丈夫なのだろうか・・」 と思いながらも「何とか乗り切っ て欲しい」と願いました。それか ら1年後、「入居者が相次いで亡 くなったりご家族の元にいかれて 入居者が減り、経営が難しくなっ た」と連絡がきました。更に「こ の現状を相談するとあなたの信仰 が試されているのです。

 ここからが本当の勝負です」と言われ、「やれるところまで頑張り ます」と書かれていました。だから 「閉鎖」したと言うニュースは、残 念では、あっても安堵しました。

 ところが、閉鎖理由が「半年前に 突然の病いで半身不随の身になり、 何とか今年の2月まで維持してきた が、僅かな入居者の今後の居場所も 定まったので多くの方のアドバイス に従い閉鎖に踏み切った」と書かれ ているのに気付き愕然としました。

 「ここまで頑張った彼にあまりにも 酷い仕打ちではないか」と神様に怒 りがこみ上げてきて第2の人生を掛 けて頑張ってきた彼に起こった出来 事があまりにも理不尽でショック だったのです。更に彼とほぼ同じビ ジョン(夢)を抱く私にも暗い未来 しかないのかと正直な所、打ちのめ されました。

 それから2か月後、彼から個人的 な葉書が届きました。そこには、昨 年の9月、突然、尿毒症になり、菌 が背中に入って下半身麻痺を起こし 車椅子生活になり医師から自力歩行 は難しいと診断されたが奇跡的にリ ハビリの効果が出て杖での歩行まで に快復した事を「神様への感謝」と 言う形で記されていました。彼は、 とっくに立ち直り、寧ろ、もっと頑 張ってリハビリに励めるように祈っ て欲しいと前向きに生きていまし た。彼は誰の事も恨んでいないし、 今回の結末にも後悔はしていません でした。

 私は、とても彼みたいに立派には、生きれな いと思いました。そしてきっと愚痴を言ったり 文句を言ったり、なぜだと詰め寄ったり、神様 に反抗的な態度を取るだろう。でも、そんな私 を神様は見捨てる事なく愛し続けて下さると信 じてきっと彼みたいに立ち上がれると何故か思 えてきました。

 

「4月:月報」巻頭言

 

「人知を超えた神の関与」      郷津 裕

 

 私の元々の性格は、「無計画、 なるがままにに流れていく」でし たが幸か不幸か、超計画魔の女性 と結婚をし半強制的に「計画的に 生きる事」を余儀なくされまし た。実は、妻の計画では、私は、 今頃、「沖縄の青い海の下でのん びり過ごしている」筈でした。長 年の牧師としての生活をリセット するためには、慣れ親しんだ場所 を離れ、今までとは違う環境に身 を置く必要があると考えた家内 は、妹が住むカナダに行く計画を 立て、コロナ禍で難しくなったの で家内にとって一番、遠い所、沖 縄が選ばれたのです。これが、半 年前までの我が家の2022年の 計画でした。

 ところが、日立に留まるだけで なく東海村の教会の責任も負う事 になって今まで以上に忙しい日々 を過ごす事になりました。実は、 私の身に降りかかった予想外の出 来事は、これだけでは、ありませ ん。私が、今年の1月、「教会外 の仕事の責任は、何とか降りられ そうだ」と家内に伝えると「悔し い!こんなに頑張ってきたのに2 つの課題だけが何の解決策も見い だせないまま、仕事を降りる事に なって・・」と言い出し、余程、 悔しかったのか家内は、この2つ の事に「解決策を与えて下さい」 と密かに祈り出したのです。

 家内が祈っていた2つの事と言 うのは、1つは、「女性の独身牧 師や牧師である夫を亡くした未亡 人が老後に安心して住める家を与えて欲しい」と言うもので2つ目 は、「引退した牧師が生活に困窮し た時に支援するお金が現状では目減 りする一方なので何とか増える方法 を与えて下さい」と言うものでし た。諦めの悪い家内が、「この2つ の山を動かして欲しい」と毎日、 祈っていたら何と2月に入ってこの 2つの山が突然、動き出したので す。具体的には、ある教会から女性 教職のためのシェアハウスの申し出 があり、更に退職教師への生活支援 に多額な献金の申し出がありまし た。昔から家内の祈りは、「よく聴 かれる」と多くの人から言われ、実 際、奇跡的な事がよく起こります が、家内自身祈って1か月で解決を 得た事は、珍しく、本人が一番、驚 きました。私が「祈りは凄いなあ」 と言うと家内は「でも、ずっと祈っ ても何の変化が起こらない事の方が 実際は、多いし毎日、「ウクライナ の人を助けて」と祈っているのにド ンドン人が死んでいく。思わずプー チンさんを呪いたくなっている自分 にぞっとしたり・・・」と正直な心 の中を話してくれました。確かにど んなに信仰を働かせて祈ってもどう にもならない事もあるしそんなに 祈ってはいないのに長年の課題が解 決する事もある。本当に「人間には 理解できない事を神様はなさる」と 改めて思わされました。

 ただ、1つ、はっきりしているの は、結果は別として家内の様に「現 状を見て諦めてしまわない心」が誰 にも必要なのでは、ないかと思いま す。

 

 

 

 

「3月:月報」巻頭言

 

「今、気になっている事」      郷津 正子

 

 

私はコロナ禍になるずっと以前 から高齢になって教会に来れなく なった時の対策として教会の礼拝 を同時刻に配信し自宅でインター ネットを通して礼拝に参加出来る ようにしたいと願っていた。 その計画がコロナ禍で早まり昨年 の秋以降、礼拝の同時配信が始 まったのだが、最近になって「果 たしてこれで良かったのだろう か」と感じるようになった。 確かに自宅で礼拝出来るのだか ら教会まで出かけて行く事が困難 になった老人たちには良報だと思 うが礼拝が「参加」から「見る」 に様変わりし本来、礼拝に出た時に得られていた恵みを配信を見ている人たちに提供出来ているのかと疑問に思う様になった。

 勿論、配信でも牧師が語る聖書のお話は、情報として正確に伝える事は出来る。でも、まるで自分に向かって語られた神からの言葉として伝わる事は、難しいのではないかと感じる。つまり、配信では情報の一方通行になり礼拝に集った時の様な牧師対自分、神対 自分と言うコミュニケーションが全く、なくなってしまうのではないかと考えたからだ。 又、配信での礼拝は、「見るも の」になり、自分のいらない情報 は飛ばしてしまう事も可能になる。しかし、会堂での礼拝は、よそ見やうわの空と言う事があったとしても自分にとって関心がない事を「なし」にしてしまう事までは出来ない。 配信による礼拝と会堂での礼拝を同じに扱う事は、出来ないのではないかと頓に思う様になった。

 そんな時、ある科学的データの記事に目が留まった。 それによると「良いコミュニ ケーションが取れている時は、お互いの脳活動がシンクロし揺らぎ が同期する。対面で顔を見ながら 会話をしている時は全員の脳反応の周波数は同期していたがオンラインではそれが一切、見られな かった。つまりオンラインでは脳にとってはコミュニケーションになっていないと言う事になる。 つまり情報は伝達できるが感情は共感していない、相手と心がつながっていないことを意味しこれが多用され続ければ「人と関わっているけど孤独」と言う矛盾したことが起こると推測する。」と書 かれていた。 上記のデータは、オンライン会議での話だが、ネットを通して一 緒にいるのに「共感と言う事が起きず孤独だ」とするなら一人で礼拝を見ている方がもっと「孤独」 で一方通行になると思われる。

 礼拝に出ると言う行為には、確かに時間も手間も他人に気を遣う事も含めて犠牲を伴う。でも、共に集うと言う事で得られる恵みの方が一人で礼拝を見ているより何倍も私たちに活力を与え、希望や勇気を与える物になる筈だと確信 出来た。

 

 

 

「2月:月報」巻頭言

 

「新年に思った事」      郷津 正子

 

 「本当の大災難は2025年7月にやってくる。私が見た未来完 全版」(たつき諒作)と言う予言漫画をご存じでしょうか? 1999年に東日本大震災を予言したと言われている本で今回、新たな予知夢を加えて解説したようです。 何故、そんな都市伝説の様な漫画に興味を持つかと言うと実は、私も東日本大震災が来る2年ぐらい前にある本で同じ様な内容を読んでいたからです。

 その予言をされた方は、米国のブロードウエイにある教会のK牧師で米国では、超有名な方でした。その方が、神様から示された警告内容を日本の読者に向けて語った記事が掲載され、それを私は読みました。 その内容は、「東京から北の地域の東にある海岸の地域にかつてないほどの大津波が襲い、たくさんの命が奪われる。しかし、それは、その後に東京方面を襲う大災害に備えるようにとの神からの警告である。・・」そんな内容でし た。私は、この記事を読んだ日本中の教会が大騒ぎになると思ったのですが、何の反応もなく、しかも、その予言をされたK牧師が、 まもなく車の事故で亡くなってしまいました。

 私は、東日本大震災が起きた時 今度こそ、この予言の事が話題になると思ったのですが、その時も 何の話題にもならず、あの予言を 読んだ人間が私一人である筈がないと思い、夫にその本を探してもらいましたが、見つからず、夫から「存在しているのか」と言われてしまいました。 でも、私が予知夢を見た訳ではなく確かにその本を読んだのは、 事実なのでそれ以来、「東京方面に起こる本当の大災害に備える様にと人々に警告する義務があるのではないか」と悩んできました。 ただ、今の日本人の殆どが、東京直下型地震や富士山爆発、東南海地震が「明日、来てもおかしく ない」と理解しているので今さら 警告する必要など全くないのですが、私にとっては、今年、とてもその事が気になりました。多分、 「今年こそ必ず実現したい」と願っている事が東日本大震災の被災地を再訪する事だからなのでは、ないかと思います。

 2011年の5月、仙台から海 辺の道を北上し青森までこの目で被災状況を確認しようと旅をしました。その時、石巻の丘の上で 「10年後、必ずどこまで復興できたかを見届けるために再訪します」と誰に向かってなのか私は、 約束をしました。しかし、コロナのせいで昨年、実現出来なかったので今年こそ、その約束を果たそうと思っています。私は、あの時 見た被災地の情景を一生、忘れないと思います。そして、その時の衝撃以上の事が再び、私たちの身 に降りかかってくる日が近づいているのではないかと思いながら 新しい年を迎えました。

 

 

 

「1月:月報」巻頭言

 

「新年を迎えて」      郷津 裕

 

 コロナ禍の前までは、前年度が どんなに暗いニュースで溢れてい ても新年を迎えた途端、何故か新 しい年への「希望と期待」に心が 弾んでいた様な気がします。 そのため、1月の月報でも新年の 抱負の様な物を書いていた気がし ます。

 しかし、今年は、オミクロン株 の脅威で果たして無事に春を迎え られるのかと思いますし、昨年の 後半は、何故なのか誰も分からな いまま、日本だけがコロナ禍の中 でも比較的安心して人と関わる事 が出来る様になっていたので、一 層新しい年にどんな事が起こるの かと不安が増大します。

 この国に何か人々を明るくさせ る良きニュースが、たくさん起き ないものかと思いながらも、「い や、寧ろ、今年は巨大な自然災害 に襲われて、とんでもない年に なってしまうのではないか?」と 思ったり、内心とても複雑な心境 で新年を迎えました。

 個人的な話ですが、今年私は、 70歳を迎えます。 私が40代の頃は、70歳と言え ば、当然第一線で活躍をしている 人は少なく、正直な所、「かなり の年寄り」と言うイメージでし た。

 でも、今は80代でも働いてい る人がたくさんいますし、70歳 で何もしていなければ、「余程、 経済的に恵まれているのですね」 と誤解されてしまいます。 昔より10歳から15歳をマイ ナスした年齢が現代の実年齢だと言われるので仮にその計算方法を 取るなら、私は、まだ55歳から 60歳と言う事になります。

 しかし、家内からは、私の頭頂 部(若い時には、かなりボリュー ムがある髪の毛だったので目立つ のか?)が薄くなり、首が痩せて 皺が出て老人ぽいと言われ、「見 た目には、完全におじいさんなん だから、これからは『老後の4 K』を考えて生きなければと言わ れています。 家内が言う4Kとは、①健康の K・②お金のK・③孤独のK・④介 護のKの事を指す様です。

 人生100年時代と言われる現 代ですが、この4Kを考えだした ら不安でたまらなくなる高齢者だ らけの時代なのだそうです。 多分、この4つのKがすべて問 題なしと言える人は、少ないで しょうし、4Kのどれか、いや寧 ろ4Kすべてに問題を抱えている 方の方が多いと思います。又、今 は、深刻な状態や不安に襲われて いなくても将来を心配し悩んでい る人も多いかもしれません。

 私も正真正銘の高齢者となった 今、少しでも実体験者として人々 に寄り添う存在になりたいし、聖 書を通して人々の不安に慰めと励 ましを届ける者でありたいと思わ されます。

 「主はご自分の羽であなたをお おわれる。あなたは、その翼の下 に身を避ける。」

                              詩篇91:4

 

「12月:月報」巻頭言

 

「青天霹靂」      郷津 正子

 

私は、自他共に認 め る「ス ケ ジュール魔」です。些細な事から 大きな事まで何でも毎日、自分の 立てた計画に従って過ごさないと 落ち着きません。そんな私ですか ら今月号で来年3月でこの教会で の働きを終える事を皆様にお知ら せして1月号を最後にこのネット ワークを閉じようと計画していま した。ところが先月、突然、所属 する団体から後3年、この教会で の働きを継続する事を求められ承 諾せざるおえない状態になりまし た。

 正直な所、スケジュール魔の 私には、あり得ない話で既に来年 以降の計画も立てていて半年程 度、日立を離れる事も考えていま した。この話を聞いた時、頭では 「この教会に留まるべきだ」と理 解しても心では「何故?こんなに 3年も掛けて準備をしてきたのに 土壇場になってこんな事になると は・・」と呆然としてしまいまし た。しかし、少し経ってから「こ んな経験は初めてではない」と気 付きました。何故なら20歳でク リスチャンになってからいつも神 様が私に望んでおられる事(=御 心)だと確信して歩み出すと毎 回、直前になって思いもしなかっ た事態が起こって方向転換をさせ られ、必ず3年、待たされるので す。例えば、婚約を解消して神学 校に進む事を決めたのに入学直前 に足の病気になって回復しないま ま3年待たされ、別の神学校に進 みました。更に3年後、米国へ行 く事が決まった直後に郷津牧師との結婚に導かれ日立に来ました。 但し3年後には、宣教師になるた め日立を去る予定でした。

 ところ が直前に主任牧師が移動され日立 に留まる事になり、宣教師の年齢 制限を超えてしまい、何と40年 近くも同じ教会で働く事になった のです。しかし、この間も私はい つも「来年は日立にいるのだろう か」と 思っていました。何 故 な ら、生涯を神様の御用のために 使って頂こうと献身した時から 「いつでもどこでも神様が行けと 言った所で生きていく」と決めて いたからです。ずっとその覚悟で いた私に神様は「日立の地に留ま り、新たな働きをしないさい」と 3年前に語られました。 それで夫が70歳になった時にこ の仕事を辞め、新たな歩みをする 事を決め残りの3年、精一杯、最 後の働きをすると決めました。と ころが、コロナ禍になり私の計画 は、かなり狂いましたが、それで も残りの4か月、頑張るぞと思っ ていた矢先でした。

 正直な所、70才で新しい事に チャンレンジするだけでもドキドキ ものなのに3年後に果たして私は 使い物になるのかと思います。で も、今まで私の身に起こった番狂 わせは、数年後、あるいは数十年 後には、いつも「神様のなさる事 は最善だった」と思える結果に なっています。きっと今回の事も 私の計画とは全く、違っても神様 の祝福への道へと導かれるのだと思います。

 

 

「11月:月報」巻頭言

 

「若い人達に伝えたい事」      郷津 正子

 

 「親ガチャと言う『不平等』」と 言う記事に目が留まりました。 「ガチャ」と言うのは、子供たち が「ガチャガチャ」と呼ぶ100 円を入れて、好きなキャラクター のグッズが丸い透明の容器に入っ て落ちてくる遊具の事やスマホの ゲーム等で使う用語の様です。

  以 前、教会学校のプレゼントにガ チャを頼まれ、同じ物ばかりが出 て願っている物が手に入らずスト レスが溜まりました。普通のくじ なら自分で選ぶので外れればそれ は、自分が選んだからだと納得で きますが、ガチャガチャは、選ぶ 事すら出来ずただ、出てきたもの を手にするしかありません。この 自分の選択ではなく運次第と言う のが「ガチャ」なので親ガチャと は、親を選んで生まれて来れない 子供にとっては、その後の人生が 親によって不運になったり幸運に なったりする。つまり本人とは関 係のない所でその人の運命が決 まってしまうと言う不平等感を表 す言葉の様です。

 確かに親の財力 立場、環境により子供の人生が大 きく変わる事は、昔も今も変わり ませんが、昔と違うのは、今の若 い人たちには努力をすれば報われ ると言うアメリカンドリームの様 な話は幻想に見えるのだと思いま す。何故なら個人の努力だけでは 親の所得の高低差から生じる格差 を埋める事が、とても難しい時代 だからだと思います。この「親ガチャ」と言う言葉を使う若い人た ちに「自分の努力不足を親のせいにするな」「親は選べないのだか ら運命だと思って諦めろ」「親に 外れたとしても頑張れば自分の運 命は切り開ける」と大人が言い放 つのは、酷なのかもしれません。 又、最近、女性の平等を求めた結 果、逆に男性が不平等に扱われる 事態が起こると聞きます。何でも 平等を求めれば良いと言う訳でも ありません。実に難しい課題をこ の「親ガチャ」と言う言葉は、提 起している様に感じます。

 

 私は、20歳の時にクリスチャ ンになり、自分の人生を「運」や 「偶然」で考える事は、なくなり ました。私の身に起こりくる物事 は、すべて「人間には計り知れな い神様の計画があると捉えられる 様になったので他人が「不幸・不 運」と思う事態になったとしても 「途方」に暮れる事なく過ごして 来ました。勿論、自分の人生を 「「他人のせい」にする事もあり ません。何故なら、私の人生は、 生まれる前から死ぬまでそして死 んだ後も含めてすべて神様が関与 して下さっていると信じているか らです。偶然は、ありません。 「すべての人の人生は本当は親で 決まるのではなく、神様がすでに 最善に計画されたものなので、た とえ、今、希望が持てない現実の 中を通っていても運命だと思って 諦めたり悲観したりする必要は、 全くない。必ず自分が想像してい るより、ずっと素晴らしい未来が 用意されているよ」と若い人たち にぜひ、伝えたいと思いました。

 

「10月:月報」巻頭言

 

「寝言と深層心理」      郷津 裕

 

 家内は、最近、寝言で「やめな さい!」と怒鳴ったり「やめて欲しい」と懇願する事が続き、私は家内をそうさせている原因が気に なり尋ねた。すると家内は「自分 も判らないけど、もしかすると最近、私の心が痛んでいる3つの事が原因かもしれない」と言った。 家内が言う3つとは、1つ目は、 「特養の利用料金が大幅に増額し 今までより5~7万円アップした のに世間は、その事を問題視していない。高齢化社会だから料金のアップは、しかたがないとは、わかるけどそれ以外の対策を練る事がないまま、人々を困窮に陥らせる現実に苛立つ」と言った。

 2つ目は、「政府が11月から行動制限を緩和するらしいけど8割 以上の接種率を誇るシンガポールが行動制限を解いた途端、ブレークスルー感染でコロナが流行している。日本も12月には、酷い状 態になり、今年もクリスマスどころではなくなるだろう。経済との両立を図るためには多少の犠牲 は、しかたがないと言う事なんだろうけど心が痛む」と言った。

 3つ目は、「昨晩、ナチス時代のある小児科医(アスペルガー氏)のドキュメンタリーを見た。アスペルガー氏は、教育しても改善の 見込みがないと診断した子供たち をたくさん、安楽死させる施設に 送りながら、戦後は、ナチスに抵抗して大量の子供たちを救ったと自己弁護をした。こんな事、決し て現代では、あっては、ならないと感じていたら今朝、新聞に日本 の精神科病院でコロナに感染した 人たちの内、235人の人が転院する事なく精神病院で死亡したと 書かれていた。明らかに日本でも 命の選別が行われている事実に怒 りを覚えた。きっと無意識の内にそんなストレスが、寝言で叫ばせているんでは、ないだろうか」と 言った。

 家内は自分の力では、どうにもならない事だと分かっているので無意識の内に寝言で「やめなさい!」と叫び「やめて下さい」と 懇願しているのだろう。ただ、夢 の中の事なので自分が一体、誰に 向かって抗議をしているのかは、 分からないらしい 。多分、家内だけでなく、多くの人がコロナ禍でストレスを貯め、 心を痛ませ疲労しているのでは、ないだろうか。コロナによるパンデミックが起きてから1年半、一 向に収束の出口が見えない上に尾身会長も「正確には神のみぞ知ることだが、2・3年プラスかかると思う」と明言されている。

 今後も覚悟してコロナに立ち向 かっていくしかないのだが、気になるのは、これからの時代を担っ ていく子供たちや若い人たちへの影響だ。暗く、辛いニュースばかりだと夢や希望を持てない大人になってしまう。 やはり、夢の中では、愚痴っても 良いが、口では、やせ我慢でも前 向きな明るい話題を語る大人でい たいと私は、思った。

 

 

「9月:月報」巻頭言

 

「壮大な実験」      郷津 正子

 

 老人のMさんが亡くなりました。 8年前、礼拝に2度出られたMさんから突然、呼び出しを受け、民生委員さんを紹介され、その方にも頼まれて成り行きでMさんの世話をする様になってしまいました。そんな時、Mさんが路上で転倒し救急車で病院に運ばれましたが、到着が遅れた民生委員さんに Mさんは、「2度と顔を見せるな」と恫喝し民生員さんは手を引いてしまいました。そのため、私たちが彼女の保証人となり、3ヶ月入院させましたが、骨の付きが 異常に悪かったため、クリスマスの日に手を固定したまま、退院になってしまいました。家にはパーキンソン病の母がいるのにMさんの介護までが加わり途方に暮れた私は、年末、年始の10日間だけと言う限 定で特養のショートステイを利用する事にしました。しかし、10日後は、どうすれば良いのかと悩み、 必死に祈っている中で「これは、 赤の他人が天涯孤独の独居老人をどこまで介護する事が可能なのかを調べる壮大な実験だ」と言う思いが何故か与えられました。

 その後、大きな山(難題)を1つ 乗り越えると次には、もっと高い山(越えられそうにもない難題) がそびえていると言った状態を繰り返し何度も公的な所にお願いに行きましたが、認知症だけでは市の特養には、入れてもらえず、温情でショートステイを許してくれた施設からも赤の他人の保証では、正式入所は、無理だと言われ、親戚を探すしかないと思いました。しかし市からは「亡くならない限り教えられない」と言われ私は神様の 奇跡を信じて「Mさんがかつて多賀駅周辺の川のそばに住んでいた」と言う情報だけを頼りに親戚の情報を求めて出掛けました。すると何と最初に声を掛けた人が甥 御さんでした。でも、ある事情からMさんのお世話を頼めず、引き続き私達がお世話を続ける事にしました。その後も幾多の困難は続き、その都度、何とか窮地を脱して遂にMさんの96歳の人生を赤の他人が全うさせるると言う壮大 な実験は終了しました。

 この実験からお金のない独居老人が頼れる身近な家族や親族がいなければ、まともな介護や本人が 望む最期を迎える事は、大変、難しい。独身者が多い、今の時代に血縁だけですべてを解決しようとする日本の未来は、必ず行き詰まると感じました。私は、来春、この教会を辞しMさんの介護と看取りの経験を元に新たな挑戦(高齢者が生活・介護・看取りなどで問題を抱えた時の窓口の働き・高齢者の共同住宅)を開始します。 今度は、赤の他人がどこまで血縁に拘る日本の制度に立ち向かう事が出来るのかの壮大な実験なのでMさんの様に成功に終わる可能性は低いと思います。でも、神様が 一緒に働いて下さるのできっと奇 跡をたくさん、見させて頂けるのではないかと思っています。

 

 

 

「8月:月報」巻頭言

 

「神のなさる不思議」      郷津 裕

 

家内は私とは全く性格が違っていて毎年、1月にその年の計画をしっかり立ててその実現を目指して行動を開始します。それで家内は「遅くても65歳以上の私たち のワクチン接種は6月末には完了するから7月からは、以前の様にとはいかなくても、かなり制限の ない生活を送れるようになる。そうなったら〇〇を開始し××にも取り組もう」と私に綿密な計画を 1月の時点で話していました。 ところが、現実は、家内の計画と は、かなりかけ離れ、家内なりにちゃんと行動をしていた筈なのに気が付くと誰よりもワクチン接種 が遅れてしまいました。しかも、 2回目の接種は果たして3週間後に受けられるのだろうかとワクチ ン不足までを心配する状況になり予定魔の家内にしてみれば、まさ に「こんな筈ではなかった」と言う結果になって、かなり落ち込ん でいました。

 勿論、誰でも自分の予定通りに 事が進めば苦労は、しない訳で現 実の歩みが予想通りに行かない人 の方が実際は、多いのだと思います。実は、私にとっては、先月がまさに予定外の連続でしかも自分の思惑がドンドン外れ、気が付くとどうして「こんな事になっていくのか???と、はてなマークが たくさん、付く経験をしました。 当初は、戸惑いと混乱で目の前の事に対処していくのが精一杯でこの先どうなっていくのかを考える 余裕もありませんでした。

 しかし、それらの事が通り過ぎた 後、改めて振り返ってみた時、 「どう考えても偶然ではない。神 様の計画がそこにあったとしか考 えられない事の連続だった」と気 付きました。

 どんな事が起きたのかは、具体的には書けませんが、私たちなり にその問題の解決を長い間、祈り 求めたにも関わらず、結果として は自分たちの願った事とは、違っ た方向に進み、かなり失望を覚えつつも「今はしかたがない」と 思っていた事が突然、予想を超えて動き出して気が付くと全く違っ た状況になっていました。

 つくづく、人間の思いや願いが いかに短いスパンでしか考えられ ない も の か。一 方、神様の計画 は、実にスリリングかつ衝撃的で 誰も予想しなかった事が現実にな るのが神様のわざなのだと改めて 気付かされました。 神が働かれる時を人は、計り知 る事はできません。だから人は、 今の状況を簡単に諦めず、目の前 に起こる事に一喜一憂せず、そこに神様が働かれる時が来る事を信 じて希望を失わないで今、出来る 事をする事が求められています。

 「神のなさる事は、人の目には良くなくても本当の所は、神の最 善がなされているのだ」と気付いて生きる人は、実は、最高の幸せ を手にしているのでは、ないかと 改めて感じさせてもらえた7月で した。

 

 

「7月:月報」巻頭言

 

「偉大な先輩たち」      郷津 正子

 

 先月、10日の間に知人が5名 亡くなられました。しかも、1名 を除いて臥せっているとか危ない状況だとは聞いていなかったので 突然の死にショックを受け、現実の事だと受け止めるのに時間が掛 かりました。少し心の余裕が出てきた時、その方々全員が、何故か とても似ていると気付きました。 別にお顔や雰囲気が似ているので はなく、全員常に明るい笑顔の持 ち主で、いつもパワフルで自分の 事より他の人のための労を惜しま ない方々でした。ふと、私が亡くなった時、人々の記憶の中にどんな姿が思い浮かぶのだろうかと考え、自分の死ぬ時や死に方を選ぶ 事は出来ないのだからいつ死んで も後悔しない様な生き方をしたいと思いました。

 

 そんな事を考えていた時、私より 10歳年上の友人から突然、長い 電話が掛かってきました。彼女の話は、聞いているうちに頭が混乱 してくるほど、次々と深刻な病気 が泥縄式に発見され、大変な状況 になっていると言う内容でした。 最初は膝の強烈な痛みで受診し たら喉の異常な渇きが特徴の難病 だと分かり、更にその治療の過程 で幼児期に発症したらしい(本人 は今回、初めてわかった)肺結核 が再発する危険が生じて結核の治 療も必要になり、更に副腎脂質ホ ルモンが異常に低下しているので 痛みを強く感じる事と脳の下垂体 に腫瘍が出来ている可能性がある 事が分かり、更に骨密度が異常に悪いので治療を開始したらその治 療薬を使うためには歯の治療が必 要になった。結果、整形外科、内 科、神経内科、内分泌科、脳外科、歯科と通院が必要になったという報告でした。

 

 聞くだけでも疲れてくる話なのに本人は、まるで他人ごとの様に 笑いながら、「行く先々で素晴らしい先生に恵まれ、私は、何と幸せな人間なのでしょう」と楽しそうに話すのです。私は、悲劇続き で少々、脳に変調をきたしたのか と一瞬、思いましたが、最初から 最後まで彼女は、今の状況を辛い とか未来が心配だとは、一言も言わず、明るいのです。更に膝にス テロイド注射を打ってくれる医師 が彼女が落とした本を見て、クリスチャンだと気づき、「自分も若 い時、洗礼を受けたいと思ったが 祖母に反対され、受けられなかっ た」と話され、彼女が勧めた本を 「ぜひ、読んでみる」と言ってく れた。「病気にならなかったらこんな出会いもなかったから実に神 様に感謝だ」と心から喜んでいるのです。若い時から彼女は、前向 きな人でしたが、老人になっても、又、どんな厳しい状況になっても彼女は笑顔を失わずパワフル に今を生きていました。

 

 私は、最近、膝・股関節・腰の トリプル痛でかなり弱気になり、 ヨタヨタヘロヘロの自分に腹が立って後ろ向きな言葉を数多く発 していたと先輩方の生きざまから気付かせてもらいました。

 

 

「6月:月報」巻頭言

 

「これでいいのかな?」      郷津 裕

 

先日、家内に頼まれ、野菜を買 いに出かける途中、「あれ、開い ている。」とある店の前を通った時、家内が言った。 その店は法事やお客様が来た時、 お得感のあるランチに人を誘った りと何度か利用した事がある店で 潰れたと聞いて、家内は残念がっていた。それで暖簾が掛かってい るのを見た家内は、「ランチを食 べていこう」と言い出し、店に 入ってメニュー表の値段を見た家内は、小声で「え?」と言った。 何故なら最低金額でも以前のラン チより500円近く値上がりして いたからだ。しかも、運ばれてき たのは、以前のランチと全く同じ 内容で家内は、「値段と中身が釣 り合わないから、もう人を誘えな い」と呟やいた。私は、「しかた がないだろう。店だってコロナ禍 で客が来なければ値上げするしか ないんだから」と言うと家内が 「こう言う時代だからこそ、ひと 踏ん張りしている姿をお客に見せ ないとお客は戻らないよ。」と言った。

 それで「もし、私がこの店の店 主なら、どうすれば、値上げをし ないでこの窮地から脱出できるの だ」と家内に聞いてみた。

 すると家内は、「こう言う時代 だからこそ、今までの発想を捨て 斬新なアイデアを捻り出し勝負を かけないと生き残れない。この店には、もう、ひと頑張りする気概が感じられないから多分、店の存 続は難しいだろう」と手厳しい言葉が返ってきた。自分の妻ながら女は「怖い事を平気で言うもの だ」と正直な所、思った。ところが、翌日、家内が「昨日の店の事だけど他人が、『もうひと頑張りが足りない』と言い放ってしまうのは、大変、思いあがった言葉だと後で反省した。今、市内でも何 軒もお店が店じまいをしているけ どみんな、努力が足りなかったから潰れた訳ではない。上目線の発 言をした自分が恥ずかしい」と言った。

 私は、この出来事の後、今、コ ロナ禍で日本中の人間がワクチン接種が済むまでもうひと頑張りするよう、暗黙のうちに求められている。それだけでなく、日本中がこの2年、政府や会社や家族やもしかすると教会からも「パンデミックなのだからみんなのためにもうひと頑張りしなければいけないよ」と言う心的圧力を掛け、それに十分、対応出来ない人を切り捨ててしまっては、いないだろうかとふと考えた。 人 間、忍耐や我慢は必要ですが、他人にそれを求めるのは、どこかが間違っている気がする。それが普通になれば、差別やいじめが起こり、決して心優しい世界ではなくなる。

 お店の場合は、利益が上がらなければ潰れるが、少なくとも人間の間では、他人が「もうひと頑張り」を求める風潮が、早くなくなる時代が来て欲しいと改めて思った。

 

 

「5月:月報」巻頭言

 

「気質の再確認」      郷津 正子

 

先月、我は、病院に行く機会が 増え待合室での時間潰しに1冊の 薄い小型の本(「神とパンデミッ ク」を携帯していきました。とこ ろがその事で飛んでもない事に なってしまいました。その本の著 者は、疫病と神の御心には、直截 的な関係はなく、ローマ8:28 節の「神を愛する人々のために は、神がすべてのことを働かせて 益として下さる~」と言う聖書の 言葉も「神を愛する者たちととも に彼らを通して益になるように神 様が働かれる」と訳すべきで神様 が何かをして下さる訳ではないと 言います。別にそんな事は、どう でも良いのではないかと思われる かもしれませんが、私にとっては 重大事でした。何故なら、私は、 今までどんな出来事の背後にも人 間には分らなくても何らかの神様 のお考えがあると信じてきました しローマ8:28節の言葉で励ま しを受けて困難や苦しい事があっ ても前に進む事が出来ました。

 

 混乱した私は、夫に相談をしまし た。すると夫は、即座にその同じ 著者が書いた4冊の分厚い本を差 し出し「これを読めば、著者の意 図がもっと分る筈だ」と言いまし た。それでその中の1冊を読み始 めると更なる疑問が生じ、その話 を夫に話すとその関連の分厚い本 が3冊、翌日も何気ない一言から 更に関連の本が2冊と続き、気が 付いたら私の机の上は山の様な本 が積み重なりました。 それからはひたすらその本たちを読む日々が続き、しかも、日本語 なのに意味が分からず頭を抱えな がら苦行の様にして本を読み続け ました。

 

 実は昨年も何気なく言った一言 で夫から次々とキリスト教の歴史 に関する分厚い本を渡され、私は 毎晩うなされる日々を送りました 何故なら、キリスト教の歴史は、 自分と考えが違う人々を拷問し殺 す歴史だったからです。 それで今度はどんな悪夢にうなさ れるのかと怖くなり、思わず、以 前から疑問に思っていた事を夫に 尋ねました。「この本、全部、読 んだ事あるの?」と。すると「必 要があった時に手元にあると便利 だから集めているだけでちゃんと 読んだ事はない」と言う衝撃的な 言葉が返ってきました。 夫の関心事は読む事ではなく、実 は収集だったのです。

 

 最初、愕然としましたが、後に なって私は夫から読む事を強制さ れている訳でもないのに読み続け るのは、私の気質のせいだ。子供 の時から「なぜだろう?」と思う とその疑問の答えが出るまで落ち 着かなくなる私の気質を夫は受け 止め、自分で答えが見つけられる ようにと毎回、本を提示し続けて いるのかもしれないと気付いたの です。そして、最近、断捨離の最 大の敵は「あなたの本です。処分 しろ」と毎日の様に夫を責め立て てきた私に神様が「少々、身勝手 過ぎるぞ」と注意を与えられたの では、ないかと思いました。

 

 

 

「4月:月報」巻頭言

 

「甥の成長」      郷津 裕

 

 先月、家内の甥が結婚式を挙げ た。医師なのに緊急事態宣言下で 結婚式を挙げる事を私なりに危惧 していた。しかし、結婚式に参列 し慎重な甥が何故、この様な暴挙 の様な行動を取ったのかが良く分 かった。新郎、新婦共に普通のサ ラリーマン家庭の出身なので医学 部に進むと言う事は、親に大変な 経済手負担を負わせる事になる。 特に花嫁は私立の医大出身なので 親の負担は甥の比ではない。彼女 なりに結婚式を通して親や祖父母 に今までの感謝を表し、「これか らは親孝行をします」とどうして も伝えたかったのだ。甥はそんな 彼女の思いを尊重し今、自分たち で出来る最高の結婚式を彼女のた めにあげようとしたようだ。正直 な所、甥が他人の思いにここまで 配慮が出来る人間に成長した事に 彼を子供の時から知る者は、みな 驚愕した。

 何故なら彼は、子供の 時からかなりユニークと言うか、 変わった子だった。幼児の時から 日常的にかつらを被り、着物を着 て、おもちゃの刀を差して切腹 ごっこをしていた。毎年、12月 には泉岳寺に行き「さぞ無念で あったろう」と言って赤穂浪士の 墓にお参りに行き、意味も分らな いのに歌舞伎を見て泣いていた。 皆で「将来は歴史学者か旅役者に なる以外、道はないだろう」と 言っていた。中高時代も果たして 友人がいるのだろうかと皆が心配 するぐらい独特な世界に生きてい た。ところが、大学受験に失敗し 自分の願わない学校に進んだ事で彼は、変わってしまった。何と運 動音痴の彼が弓道部のキャプテン になり60名の部員を仙台に引率 中、大震災に遭遇し運動場の天井 が落下して大変な目にあった。

 実は、彼は、何故か生まれた時 から不運続きだった。生後1か月 で4才上の姉が世界で5例しかな い難病に罹り死を宣告され母親が 1年間、病院に寝泊まりをして娘 の看病をしている間、祖母に育て られた。その後、姉は、奇跡的に 良くなり彼も開成中学を目指し勉 学に励み、もうすぐ受験と言う時 に父親が親の借金のため、自己破 産をしてしまった。しかし家内 は、甥に受験だけはさせると言っ てレベルを落とさせ合格させて祖 父母の援助で無理やり中学に進ま せた。ところが大学受験の直前に 今度は、祖父が突然死して葬儀の ために落ち着いて受験に臨めな かった。本当に彼は、生まれてか ら節目、節目で不幸な出来事が続 き進路が変更されてきた。でも、 これらの不運とも言える出来事が 彼の元々の性格を変貌させ、いつ のまにか他人の痛みや思いに心を 向けられる人間に成長させたよう だ。不運が人を不幸にさせるので はなく、その不運をどう生きるか によって人生は、いくらでも変わ るのだと彼を見て思う。

「今まで我が子のように可愛 がって頂きありがとう」と言う彼 からのカードをもらい、甥が人間的 に成長出来た事を心から感謝し新 しい門出を祝った。

 

 

「3月:月報」巻頭言

 

「真の理由」      郷津 正子

 

 先日、夕食時、夫に些細な事で 腹を立てました。切っ掛けは、眼科の検診で疲れ、やっと夕食を作り上げると腰痛が酷くて立っていられず、夫に冷蔵庫の中から幾つかの品を出す事を頼み、横になりました。しかし、一人で食べさせ るのも可哀そうだと思い、起き上がりテーブルにつくと頼んだ品が無かったので「これじゃないんだ けど」と言うと夫が不機嫌になり、睨まれてしまいました。

 

 思わず「私だって動けるならこんな事を頼まない。」と言うと夫は 「ごめん」と小声で言いましが、 私の怒りは収まらず、無言のまま 夕食を食べ早目に寝ました。でも 頭の中では、熟年離婚をした友人たちの事を思い出し「きっと彼女たちも老い先短い人生、ただ我慢だけでは、惨めだと思い別れたの だろう」と考えていました。

 翌朝、起きようとすると身体が ベッドに縛り付けられた様に動か ず激しい腹痛と下痢でそのまま、 寝ていました。それでも夕方、人が訪ねてくる事になり、起き上がって夫が作ってくれた食事を食べながら、大好きな新聞のコラム (末期癌の緩和ケアの医師が「足し算命」と言う題名で書いた物) を読み始めました。その日の内容は、癌患者が亡くなった後、家族が「もっと何か、してあげられたのではないか」と苦悩する姿を医師として見続けてきたので自分の家族には、そんな思いをさせないため、癌患者風を吹かせ、さんざん我が儘を尽くしていると言う内 容でした。

 

 それを読んで思わず 笑ってしまったのですが、ふと自分が夫に対して怒ったのは、「自分の人生に余裕があるからではないか」と思いました。「もし、コ ラムの医師の様に1か月後、生きている保障がなければ、自分の状況を憐れんでいる暇なんかはなく 今を必死に生きるしかない。私 は、夫に優しさが足りないと怒ったが、実は、思う様に動けなくなった自分をただ憐れんでいるだけなのではないか。」と感じたのです。そう思ったら心がスーッと軽くなっていくのを感じました。 少し前から「どうして以前の様に 動けないのか、このままだともっと悪くなって何も出来なくなる。 どうしよう・・」と次々と未来を心配しうつ気味になっていたのだ と気付きました。

 すべてのうつ病の原因が私と同じ 様に自己憐憫と言う事ではないと思いますが、 「もし、明日、生きていないかもしれないと思ったら果たして今、 自分が悩んでいる内容で心が落ち 込むだろうか・・」と自分に問いました。 「自分で自分を可哀想だ。こんな 状態でこの先も生きるのは、惨めだ・・」と言った自己憐憫の思いが、誰か(特定された人だけでなく、漠然と世間の誰かに対して も)に対する怒りに繋がり自分を更に惨めにさせるのではないかとはっとさせられました。

 

 

 

 

「2月:月報」巻頭言

 

「熟睡出来ない訳」      郷津 正子

 

 

 最近、頻繁にトイレに行き、熟 睡出来ないと言った状況になり、 単なる老化現象かと思っていまし たが昼間の出来事等が頭の中でこ だまし隠れた不安が夜になると頭 をもたげ、無意識の内に思い煩っ ているのでは、ないかとある本を 読んで気付きました。私がこの本 を読んだのは、一般の出版社が、 有名でもない女性牧師(夫の死 後、牧師になられた方)の日常を 出版して新聞広告まで出すと言う 事に興味を持ったからです。 広告の見出しには「年金7万円の 暮らしでこんなに明るい一人老 後」と書かれ「74歳、ないのは お金だけ、あとは全部そろって る」と言うタイトルが載っていました。

 

 そこに書かれている内容は、牧 師と言うよりクリスチャン女性なら誰で もが当たり前に送っている日常生 活の様子で礼拝を守り、祈り会に 出席し教会や家族のため料理を届 け、病人や精神的に弱っている人 を訪問する。気兼ねなく献金をす るためシルバー人材センターでバイトをす る。特別な事は、何も書かれてい ませんでした。私は、その本を楽 しく読み、眠りにつくと「お前は ミツコさんの様に月7万の年金で 楽しく生きれるのか?」と自問自 答が始まってしまいました。

 

 ミツコさんがその様に生きれる 根拠は、「神様が自分に必要な物 はすべて備えられるのでお金がな くても老後の蓄えがなくても心配 はいらない。」と言う確固たる信 仰ゆえでした。つまり、私には、ミツコさんの様な信仰がない、神 様への信頼度が私とミツコさんは 根本的に違うと思いました。実は 夫もミツコさんと良く似ていま す。何か問題が起こっても必ず 「神様がついているから大丈夫 だ」と言う決まり文句を言い、私 は「何の根拠もないのに事態を甘 く見ているから言える言葉だ。私 の苦しみを何も理解していない」 と夫の言葉に苛立ちます。

 

 ミツコさんは、牧師家の出身で 生まれた時から親の生きざまを見 て「本当に神様が守られる」と言 う事を体験し続けて大人になりま した。夫も小学生の時に教会に行 き信仰を持ちました。私は、大学 生の時にしかも「3年信仰を持ち 続けたら立派なもんだ」と内心、 思いながら洗礼を受けました。 もうすぐ信仰歴50年になろうと している自分が「出発点が違うか らしかたがない」と言い訳をして いるのは、何と情けない話だと気 付きました。

 ミツコさんの本が売れるのは、 殆どの人がこんな年金額で暮らせ ていけるだろうかと言う老後の不 安を抱える中、そんなどうしょう もない現状の中でも楽しく、何の 迷いもなく生きているミツコさん の姿に安心を得たいからなのだと 思います。でも、ミツコさんは、 ただ、神様と正しい関係になり、 その人生をお任せするしかないの だと言うクリスチャンなら誰でも 知っている当たり前の事を書いて いるだけでした。

 

 

 

 

「1月:月報」巻頭言

 

「年頭に思う」      郷津 裕

 

 

新しい年の門出をコロナ禍の中 で迎えるとは、1年前には、全く 想像出来なかった事です。勿論、今年は、ワクチンの普及で昨年よりは、コロナ禍の影響が減るのだろうと誰でも期待しています。 経済も大企業に関しては昨年末で利益の底値は見えたので徐々であっても回復のきざしが見えていると言われていますが実際は、殆どの業種が実感として「今年も厳しい」感じているのではないでしょうか。 そして大多数の庶民は、寧ろ、こ れからが経済的にもっと大変な状況に陥ると想像しているのだと思 います。

 

 先日、渋滞で車が止まった時、 テレビのニュース画面が映りました。とても若い母親が「親は一日一食でも耐えられますが子供にまでそんな思いをさせたくないので す・・」と訴えていたのです。 その一瞬の映像がずっしと心に突き刺さりコロナ禍に陥らなければ 何とか暮らしていけたであろう人たちまでもが普通の生活を営めなくなっている現状が私たちの周囲 に押し迫っているのだと感じて、 ショックでした。 そして翌日、良く知っている牧師が書かれた文章が目に留まりました。その牧師は生活困窮者のた めの宿泊施設を牧師館に併設して持っています。 「その施設に大学を卒業したばかりの23才の若者がコロナのせいで会社が潰れ、寮を追い出され行き場を失い市から紹介されて入所 してきた。ところが、突然、前途 を悲観して自殺してしまった」と 言う悲しい報告でした。 ゴーツートラベルやゴーツーイートとは無縁の辛い現実の中でもがき苦しんでいる人たちが実は、たくさんいるのだと改めて実感させられました。

 

 コロナ禍はいずれ収束するでしょうが、多分、1年前の1月に 普通に営まれていた日常に戻る事は、決してない事でしょう。 今年がいったい、どんな1年になるのかを正確に予想出来る人は誰もいないと思いますが、何とかささやかであっても食事に事欠く 親子が助けられ、若者が未来に絶 望しなくても生きていける日常を早く取り戻せるようになりたいととつくづく思わされます。 そしてそのために自分が出来る事は何なのだろうと考えています。多分、私には、たいした事は 出来ないのだと思いますが少なくとも今、この時、想像を超えた苦 しみの中を孤独に生きて頑張っている誰かがいると言う事実だけは、忘れない1年を送りたいと思 います。

 

「~夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。 ~聞いてください。主よ。私をあ われんで下さい。主よ私の助けと なってください。あなたは私のた めに嘆きを踊りに変えて下さいま した。」        詩篇30:5・10~11

 

 

 

 

 

 

「12月:月報」巻頭言

 

「選挙とクリスマス」      郷津 正子

米国の大統領選挙の直前、カナ ダと東京に住む妹たちがラインで 自分たちの思いや主張を頻繁に 送ってくるようになりましたが、 私は、その内容の過激さに正直な所、ついていけませんでした。 私が妹たちに同調出来なかったの には、その直前に起こったある出 来事が原因でした。

 夫がある集まりで親しい牧師達から「福音派の我々がトランプさん 以外の人が当選する事を望むのは、おかしい。日本の経済や防衛 のためにもトランプさんじゃなければ駄目だ。」と夫に賛同を求めたのです。

 帰宅後、その話しを聞いた私は、「どうして何も応答しなかったのだ」と夫を責め、自分なら「政策 はキリスト教的であっても生き方が非聖書的な人を良しとするのは、おかしい。それでも牧師か」と反論すると言いました。 確かに聖書を神の言葉として信じ聖書を基準に生きる我々の事を「福音派」と呼びます。

 トランプ さんは、選挙前、福音派の有力リー ダー25名を招き、当選したら福 音派の主張が通るように協力する と約束したので福音派は殆どトラ ンプさんを応援しました。多様な 文化への配慮から「メリークリスマス」と言わず「ハッピーホリデー」と呼ぶ事が 推奨され同性愛や人工中絶も普通の事として受け入れられている世 相に米国の福音派が憂いているの は事実です。でも日本人の多くの クリスチャンや牧師たちは、私と 同じ考えを持っていると思っていました。しかし、実際は、違っていたのです。

 この経験から、米国の政治に直接的には関係のない日本人同士で もこの様に考え方や意見が違うの だから安易に「みんな自分と同じ様に考えている」と思うのは、実 は、危険な事だと気付かされまし た。そして、自分と考えが違う人 を受け入れると言うのは、私が考 えている以上に大変な事なのだと思ったのです。そしてこの事は、 クリスマスの意味を改めて考える切っ掛けになりました。

 イエス・キリストは大人として ではなく、弱く、誰かの助がなけ れば一時も生きられない幼子としてこの世界に来られました。それは、人間が味わうすべての苦悩や苦しみをすべて体験尽くし人間が抱える問題の根本である罪を解決 するために十字架に架かるためでした。これが神様が人類を救う、 唯一の道として計画された事です。「クリスマスの真の意味を知ったら分かり合えない人同士も 歩みよれる道が開けるのに・・」 と改めて思わされました。

 

「私たちの大祭司は、私たちの弱 さに同情できない方ではありませ ん。罪は犯しませんでしたが、す べての点において、私たちと同じ ように試みにあわれたのです。で すから私たちは、あわれみを受 け、また恵みをいただいて、折に かなった助けを受けるために大胆 に恵みの御座に近づこうではあり ませんか」へブル4:15~16

 

 

 

「11月:月報」巻頭言

 

「天才から学んだ事」      郷津 正子

  政府がハンコ文化を解消してい く方向で舵取りを切ったと知り、 私は、「無駄なハンコが消滅する 時がやっと来た!」と大喜びをし た。何故なら、母の介護や独居老 人のMさんの介護でどれだけサイ ンとハンコを押しまくったか。 何か1つの事を決めたり、するた めに何枚もの書類にサインとハン コを押し続け、いつも「これは、 誰のために意味ある事なのだろ う・・」と空しくなった。 特にMさんのハンコは、本人から 預かる事が出来ないため、勝手に 三文判を作り、勝手にハンコを押 すしかMさんを助けられなかった 内心、「こんな事をしていていい のかなあ?」と罪悪感も伴いなが ら押し続けた。

 又、父が亡くなった折り、妹たち の印鑑証明とハンコが必要になっ たが、カナダ国籍の妹には印鑑証 明が取れず、しかもカナダ政府か らの証明書では無理だと言われ、 領事館まで行き、サインをハンコ として認めてもらえる交渉をして もらった。どうして日本はハンコ が押されなければ正式な書類にな らないのかと私は以前から憤慨し ていた。 だから今回の決定は「最高!」と 思ったのだ。しかし、すぐに私の 考えは安易だと分かった。

 何故なら、今までの様に書類にサ インとハンコを押して提出する代 わりに今度はインターネットを介 して提出する事が求められると分 かったからだ。 そうなれば、ネット環境にない人 や操作出来ない人は、自分では何 も出来なくなる。そして世の中が 「今はネット社会なのだから取り 残されない様に頑張って学べ」と 言う姿勢でいくなら高齢者の多く が確実に誰かの手を借りなければ 何も出来なくなる。 これは、大変な事だと思っていた 時、台湾のIT担当大臣の言葉が心 に響いた。

 この方はIQ180以上の天才なのだ がご自身の体験からIT化する場合 は「一番、出来ない人に合わせた ソフトを作り、次に得意な人に便 利な様に改良していく」と言う趣 旨の事を言っておられる。つまり 「出来ないあなたが悪いのではな く、出来ないようなソフトを作っ ている我々が悪いのだ」と言う考 え方でITが使えなくても政府の政 策から漏れない様に日々、「誰も 置き去りにしない」努力をされて いたのだ。

 私は、本当に頭の良い人の考え方 は、寧ろ「当たり前の事を当たり 前に考えるのだ」と学んだ。 現代は、状況、変化、様々な大量 のデーターをコンピューターに読 み込ませ、その結果に基づいて動 かさせられている。でも、人間に しか出来ない判断や思考があるの だと改めて気付かされた。 そして、私も現代の風潮に流され ず、「誰も置き去りにしない」と 言う発想で物事を考える習慣を身 につけたいと思わされた。

 

 

 

「10月:月報」巻頭言

 

「経験が持つ意味」      郷津 裕
 教会のドラムを処分するにあ たって私の楽器も処分する事にし た。買取業者が来る前日少しでも 高く売ろうと楽器を磨き始めると 何故か今まで私がさせられた習い 事の数々を思い出した。 母親に無理やり習い事をさせら れた子供みたいな言い方だが、私 は、今まで自分から願って習い事 をした事は一度もない。 家内が教会のため、伝道のため (教会への敷居が低くなって多く の人が教会に来られるように)と 言って私に習い事をさせたのだ。 私が習ったり、関わった習い事 を上げるとオルガン教室、書道、 ドラム、ゴスペル教室、パソコン 教室、パーカッション教室、日舞 教室、サックス、古典絵画、書道 教室、太極拳教室等。

 私は子供の時から何一つ習い事を した事がないが家内は「私が人よ り少しだけ起用で自分は人よりと ても不器用だ」と言う事を知って いて物になるのは私の方だと判断 して私に習わせたのだ。 私の習い事や数々の教会の習い事 教室で家内が願う、教会のため、 伝道のためにどれだけ役立ってき たのか疑問なのだが家内は「教会 に1度も来た事のない人を一人で も減らせるならお金は惜しくな い」と言うのが持論で私はその家 内の持論を現実化するため様々な 習い事をさせられてきた。

 そんな今までの習い事に関わる 事を楽器の買取業者が来る前に思 い出した。そして私の習い事はたいした成果はなかったのだが少な くとも私の人生においては、「何 も知らなかった世界をほんの少し だけ垣間見た」と言う貴重な経験 をしたと言う意味で、十分、意義 があったのではないかと思った。 そして唐突なのだがコロナと共 に生きる事を余儀なくされている 今の状況と通じるものがあると感 じてしまった。 もし、コロナの問題が起こらな かったら人は何でも自分の思い通 りに生きれると錯覚し自分勝手な 道を益々進んでいったのだろう。 しかし、目に見えないほど小さな 生き物(ウイルス)によって世界 中の人間が支配され、恐怖に慄き 人生を変えられていくのを私達は 目の当たりにした。

 しかも、これから先の半年ですら どうなるのか誰にも答えられな い。こんな時代を生きる事になる など半年前には想像すら出来な かったのに・・・ 人間の努力では生きる事も死ぬ ことも明日の生活すらも何もコン トロール出来ない。こんな当たり 前の事、そしてそれは聖書がずっ と語ってきた事なのだが、今、ま さに現実の中で私達は体験させら れている。

 私は楽器を手放す事を切っ掛け に改めて「どんな体験も経験もそ の人の人生の中では、無意味な事 はない。今は分からくてもやがて 意味あるものになる可能性があ る」と言う事を感じコロナの経験 もそうであって欲しいと願った。

 

 

 

「9月:月報」巻頭言

「人と語らう大切さ」      郷津正子

  先代牧師であるT先生が日立に来られる日の朝、大津の牧師から「T先生は今、日立駅にいます」と連絡が入り何が何だか分からな いままお迎えに行きました。T先生は、今までも私には理解不能の言動をされる事がよくあります。 大阪に赴任されて最初に日立に来 られた時、教会のへのお土産として築地で買われた「生きたエビ」を持参されました。次に先生にお会いした時、先生は脳出血の後遺 症で歩行と言語に困難を覚えてお られました。懐かしい日立の思い 出話をしようとしたら先生は「日 立の事はみな忘れた。」と言われ寂しくなりました。

 その後、T先 生は60代前半で3度目の乳がんを発症された奥様の看病のため牧 師を辞められました。ところが、 数年後、突然「ウィーンの教会の お墓の肥やしになる」と言ってご夫妻でオーストリアへと旅立た れ、1年後、4度目の乳がんを発 症された奥様と共に帰国されました。そして奥様が天へと召された 1か月後、再びウィーンの教会に牧師として戻る事を決定され、旅立って行かれました。

 

 正直な所、 私には最近の先生の行動の真意が殆ど理解出来ませんでした。しかし、5日間の先生との交流の中で 私にとって意味不明だった先生の真意がやっとわかるようになったのです。特に飲食を共にしている 時の何気ない先生との会話の中で見えてきました。例えば訪問先との時間調整のために入ったカフェで「脳出血で過去の記憶はすべて 消えてしまった。だから今の記憶はその後に覚え直したものだ」と言われたのです。それを聞くまで「昔懐かしい場所にご案内しているのにこの興味のなさそうな反応は何だろう」と思っていましたが脳出血の後遺症が原因だったのだと分りました。

 又、何故、病気の 妻を同伴してウィーンに行かれたのかそして今、再び、一人でウイーンで生 きようとされているのかも豆乳スムー ジを飲みながら話してくれました 別のカフェでは「ウィーンに行って本当に 良かった。妻が亡くなった後、毎日『迷惑ばかり掛けて本当にすまなかった。あの事も赦して欲し い・・』と後悔ばかりして写真に謝り続ける日々を送っていた。 もし、ウィーンに行かなければ今もその生活から抜け出られなかったと思う」と言われました。 他にもT先生の言動で今まで意味 不明だった事がこの5日間でかなり解明出来ました。

 

 そして分かったのは、今はコロナ のせいで人と人が直接、関わる事 が減り、殆どの用事もインター ネットを介して行われるが、これでは、相手の事を本当に理解する 事は難しい。人は何気ない雑談の中に本音や心の思いが出てくる。そしてそれを円滑に進めるために 飲食が有効なのだと改めて気付かされました。 だからこそ、一日も早く、人と気 楽に集まり、おしゃべり出来る時が早く来て欲しいと願いました。

 

 

 

「8月:月報」巻頭言

「やはりコロナの話題」      郷津正子

 

 コロナに関する事はもう書かないと決めていたのにやっぱり今月も コロナ関連になってしまいました。 多分、NHKの歴史シストリアを見たか らだと思います。番組は主にペスト の感染を扱い、歴史を振り返りな がら今の状況に思いをはせると 言った内容でした。簡単に要約す ると中央アジアのある地域の風土病 だったペストがモンゴル帝国が世界を 支配する様になって道路網の整備 されヨーロッパに伝わり、港町の交易 を通してあっと言う間にヨーロッパ中 の主要都市に感染が拡大されて いった

 

 人々は神に助けを求め、教会へ と殺到し3密状態が生まれて感染 が更に拡大し祈ってもダメだと分 かった人々が今度は刹那的な生き 方(今風に言うなら夜の街へと繰 り出し)をして更に感染を広げ た。人々は家族総出で都市部を離 れ郊外へと移動し地方の村々にま で感染が広がり、正体が分からな い病魔に人々の心は荒れ果て家族 や友人を見捨て自分の事しか考え ないようになっていった。更に原 因を誰かのせいにしないではいら れないと言う人間の本能からユダヤ 人がペストを持ち込んだと言う偽情 報(フェークニュース)が流され、民衆は ユダヤ人の虐殺を重ねていった。 やがて日本にもペスト菌が入って きたが北里柴三郎先生の努力で原 因菌が突き止められ、ねずみの駆 除や消毒を徹底させてペストの感染 を抑える事が出来たと言う内容で した。テレビを見ながら今と少しも 変わらない状況に「歴史は繰り返 す。人間の本性は変わらない。」 とつくづく思いました。 そして過去の教訓をしっかり学 んでいたら今回も多くの尊い命が 失われずに済んだかもしれないと 感じました。一般市民にはどう努 力しても感染拡大の原因を解明し 対処する事は出来ませんが、これ 以上の悲劇をを止めるためにまだ 出来る事があるのではないかと思 いました。

 

そしてその第一歩は、「感染の 恐怖から人の心はより自己中心に なり、他人への配慮を失わせる。 そして、自分に脅威を与える存在 かどうかと言う基準で人にレッテ ル貼りをする」と言う自覚を持つ 事が必要だと気付きました。 ところが、この番組を見た数日 後、私は水戸のデパートのエスカレーターの 中で自分が思った事と真逆な事を 感じている事に気付きました。 地下から乗った時は数人だった のに次々と人が乗ってきて超過密 状態になり心の中で「この状態に 平然と乗り込んでくるとは何と非 常識な人たちだ」と思ったていた ら遊び人風の若いカップルが入っ てきて私の横に立ちました。いつ もなら水戸にもこんな若者がいる んだぐらいにしか感じないのにそ の時は「馬鹿者!次のに乗るぐら いの配慮が出来ないのか」とその 若者を裁いている自分がいまし た。そして新しい生活様式は習慣 化出来ても心の刷新は難しいと実 感しました。

 

 

「7月:月報」巻頭言

「この半年を振り返って」      郷津裕

 

 やっと4月1週に支 払いを済ませ「コロナ対策に本腰 を入れるぞ」と思ったら今度は非 常事態宣言が出されてしまった。 2か月、教会の集会を自粛し礼 拝もインターネットによる配信と なり、やっと6月の2週目から会 堂での礼拝が再開しほっと一息つ いた。しかし3密を避け、社会的 距離を保ちながら感染予防を徹底 して行わなければ維持出来ない状 態になっていた。今までの様に楽 しく食事をしたり、喋ったり、一 緒に何かをする事がいつになった ら出来るようになるのか?もしか するとずっとこのまま、人との交 流の仕方が変わってしまうのか? 秋には第2波がやってきて大勢の 高齢者や持病をもった人達が亡く なり経済の破綻で自殺する方々が 起こるのか?・・・考えれば目の 前が真っ暗になる材料しかない。

 しかし殆どの牧師は、この事態を 憂い、落ち込んだりしていない。 寧ろ、新しい事に取り組むチャレンジの時だと前向きに捉えている人 が多い。家内は、「そんな能天気で いいのか」と怒るが私は牧師ぐらい は「人間的な情報や知恵とはかけ離 れた信仰目線で生きていても良いの ではないか」と思っている。 何故、多くの牧師達が悲観的では ないのかと言うと今の状況を特別な 事と言うより聖書の預言の成就と言 う視点で捉えているからだ。聖書に は大地震、疫病、飢餓、バッタの大 群の襲来が預言されている。又、 「神様が共におられるから試練も必 ず乗り越えられる。」と信じている 人も多い。又、私の様に過去の歴史 から今回の惨事は必ず乗り越えられ る課題だと思っている人も多い。

 今から約100年前(1918 年)約2年にわたってスペイン風邪 が流行り死者数5千万人(1億に達 していた可能性もある。)に達した が21世紀に入って2003年には サーズ、2012年にはマーズ、 2019年末からの新型コロナとほぼ 10年弱でウィルスによる攻撃を世 界は受けている。 人類はずっとウイルスや感染症と 闘って乗り越えてきた。しかも10 0年前と違って敵の正体は分かって いるのだからきっと次のウィルスが 襲ってきた時には、今回の事を教訓 にもっと21世紀に相応しいやり方 で敵に勝利出来るに違いないと思 う。勿論、家内には「能天気過ぎ る」と叱られそうだが、これからも 私は、現実に押し潰されずに前向き にコロナとの共存時代を生きていき たいと願っている

 

 

 

「6月:月報」巻頭言

「コロナと私」      郷津正子


 ある方から「コロナとの闘いを人にさせる神様の目的は何です か」と言う質問を貰いました。私は神様が無目的に事をなさる事は なく今回の事も何らかの意図があると信じています。そして、こんなあり得ない様な事が世界中に起こる時代に自分が生きている事にも意味があると感じています。

 今まで「自分の生涯の中で一 番、衝撃を受けた出来事は、東日本大震災だと考えていましたが今後は、コロナの問題だと答える気がしています。何故なら通常の自 然災害とコロナは、その被害の内 容が全く違うと思うからです。東 日本大震災を経て価値観が多少は変わった気はしますが生き方その ものが揺らぐ事はありませんでし た。まさか自分の人生に「他人と距離を保ち続ける事が益で決して他人と密に接触してはいけない」 と言う生活様式が求められるようになるとは想像すらしていませんでした。今まで良い事とされた事が他人を不幸にし時には死に至ら せると言うありえない事態です。

 でも、この状況は実はAIが世界 をコントロールした時の生活様式と極似しています。多くの本を通して知ったその世界では、人間同 士の繋がりがほとんど直接的にはなされません。人は殆ど家の中で過ごし仕事も買い物も食事もすべて自宅で完結する生活です。旅行 に行かなくても目の前に映し出さ れる映像を見ながら体験し味わう 事が出来ます。ベーシックインカムによって働かなくても最低限の生活費が与えられているので好き な事をして暮らす事が出来ます。教会にも直接、行く必要はなくネットで礼拝の気分を味わい、説教者もAIが最上の説教を選択し仮想現実の牧師が登場して礼拝を行う。そんな姿が想像出来ました。

 そんな時代に人と人はどう関わって生きていくべきなのか、教会は、どう交わり、伝道し信仰生活を送るべきなのか・・そんな事を考える一方で私が生きている間にそこまでAIが進歩する筈はないと安心している自分がいました。

 しかし、今回のコロナの問題で一気に私が想像していた世界が現実化されたと感じています。まるでAIの世界が私たちに提供する生活のシミュレーションを今、現実にさせられている気分です。AIが発達しても「人と人との関わりを断つ生活は人の欲求とは違うからそんな生活が良しとされる時代は決して来ない」と思っていた私の予想はコロナにより覆りました。

 でも、AIによってコントロールされる世界が来るならその前にAI には決して出来ない「人と人の心を繋ぐ」と言う人間の生き方を再 構築する最後のチャンスが今なのではないかと感じています。どうやるのか、それは判りません。でも、きっと答えはある筈です。人間が人間らしく生きられる時代を 一人一人が考えて良い世界を造れるラストチャンスに今、人は立たされている気がします。 

 

 

 

「5月:紙上月報」巻頭言

「自分の事として実感する難しさ」      郷津正子

 

 *下記の内容は3月末に書いたものです。今、改めて読むと何とのんびりした事を書いていたのだろうと思います。月報を配布しない事にしたのでお蔵入りの予定でしたが何も更新しないのもおかしいので載せる事にしました。

 

1月に中国でコロナが流行し始めたと言う報道を聞いた時、すぐに世界的な流行になると感じた私は、危機感で一杯になりました。そんな時、カナダに住む妹が予定通り3月に母の墓参りのために日本に戻ると連絡してきました。私は、ラインで「中止してくれ」と何度も頼みましたが妹は「カナダでは、マスク着用は意味がないと言われているし来週から中国からの留学生30名を迎える準備で忙しい」と全く、気にしていませんでした。更に東京に住む妹までもが医師をしている子供達から「持病がないカナダの叔母さんはコロナに罹っても軽症だから日本に来ても大丈夫だ」と聞いたと連絡し妹は、益々、「行く」と言い張りました。それで私は、2月の末に長女の特権を使い妹に「お願いだから来ないで欲しい。来たらカナダに戻れない」と命令口調でラインをしやっと妹は「いかない」と言ってきました。

 

私がここまで強硬に妹の来日を阻止しようとしたには訳がありました。私は、去年の11月初めにインフルエンザに罹り大変な目にあったからです。自覚症状を訴えても「ただの風邪です」と医師に診断され処方された解熱剤のせいでウイルスが増殖し4日間も42度の高熱と戦う羽目になりました。やっと熱が下がると今度は味覚障害や激しい咳に襲われ、1か月近く、動けず、それが原因で今度は、ひざ痛も起こりウイルスの怖さを実感しました。

周囲にインフルの人は誰もおらず接触した人も限られている私が何故、インフルになったのかずっと疑問で何故だろうとずっと悩んでいました。そして考えられるのは3日前にお見舞いに行った病院の椅子や触った物にウィルスが付着していたからではないかと思いました。更に発症した日に私は、病人の付き添いで救急車に乗り、2つの病院に行ったのにそこでは誰も感染者が起こりませんでした。そして自分なりに納得したのは、どんなに予防しても感染する時は感染するしウィルスは、人間の思惑や理屈とは無関係に猛威を振るうのだと思ったのです。それで妹の訪日を阻止しようとしたのです。カナダの妹は、3月に入って同僚が感染し自宅待機の身となり「日本に行かなくて本当に良かった」と言ってきました。人間は残念ながら自分の身近で危機を感じないうちは、楽観的に物を見る傾向があるのだとつくづく思いました。

今回はウィルスの脅威ですがもっと問題なのは自然破壊、地球温暖化ではないかと思います。「未来は大変になる」と感じていてもその深刻さを実感できないうちは、まだ、「時間は残っている」と余裕を感じ、その結果、手遅れになるのかもしれません。当たり前の事ですが、何の問題であっても「危機感」をしっかり覚え、早目の対策をする事が不可欠ですが、その前にその問題を自分の事として実感できるかどうかが鍵の様な気がします。

  

4月報」4月号の巻頭言: 「私の発見」  郷津 裕

 

 家内は掃除好きではないのに 「広告通りの効果があるかどうか を試したい」と生協で掃除グッズ を買い続けています。殆ど8割は ガッカリな結果になりその残骸物の 様な洗剤や道具が大量に我が家に はあります。最近、牧師館のリ フォーム工事の際に家内から高い 場所の雑巾掛けを頼まれ、家内の 掃除グッズを使い、その驚異の洗 浄力に私は、はまってしまいまし た。時間が空くとベトベト、ギタ ギタな所を新品に近く綺麗にする ことに喜びを感じ掃除をし続け家 内から「もう止めて」と言われて しまいました。 何故、自分がこんな事に嵌まって しまったのか不思議なのですが後 で考えるとやればやるだけ効果が 歴然と見える事に快感を感じたの だと思います。当たり前ですが牧 師の仕事は、すぐにやった事の効 果が出るようなものではありませ ん。何年も経ってからあの時の事 が良い結果に繋がったと言う事は あっても殆どの事は、結果を知る 事は難しいです。 昔、文房具のセールスの仕事をし ていた時、大口の県庁からの注文 を受け、自分にはセールスの才能 があるのかなあと勝手な思い混み をした事がありますが、数字に直 結する仕事でない限り、考えてみ れば、多くの仕事はすぐに目に見 えて効果や結果を得る事は難しい と思います。

 

子育てにしても介護にしても遣り甲斐はあったとしても自分のやっ ている事の結果をすぐに確認出来 ると言った内容ではないと思いま す。きっと仕事の多くは、何を自 分の満足、喜びに出来るのかと 言った問いを自分にしながら黙々 とその仕事をしなければ、ならな いのかもしれません。 

何故か、掃除に突然、嵌まってし まった私ももし、家内の失敗した 残骸物で掃除をしていたら「掃除 なんかはやるもんじゃない」と 早々と放棄していたかもしれませ ん。たまたま、優れた掃除グッズ に巡りあえたからこそ、綺麗にす る快感を覚えたのだと思います。 

 

きっと世の中で一番、尊いのは、 結果を見る事もなく、黙々と目の 前にある仕事や役割を自分の使 命、神様から与えられた働きだと 感謝しながらする人なのではない かと改めて思わされました。 又、私が掃除に嵌まったと言って も今後、ずっとやり続ける事はな いと思います。めったにやらない 事だから楽しかっただけでこれが 毎日の事になったらきっと「仕事 が忙しいから」と言って逃げてし まうのだと思います。考えて見れ ば気紛れに掃除をする私より、日 常的に掃除や家事をこなしている 家内の方がずっと凄い事なのだと 思います。 

でも、時折、いつもとは違う事を すると色んな発見があるものだと 思います。そんな事を感じた今回 の私の掃除体験でした。 

 

 「月報」3月号の巻頭言: 「悪夢にうなされる私」  郷津 正子

  

 私は、毎晩、寝る前に本を読む 習慣があります。昔から寝つきが 悪いので簡単な読み物を読み、眠くなったら目を閉じます。 

いつもは、気楽な読み物を使用し ているのですが12月にキリスト教本屋さんが教会に来た時、キリスト 教の歴史に関わる簡単な読み物を 購入しそれを読み終えた時、「凄く面白かった」と夫に言ってしまいました。すると夫は私のベッド 脇の机の上に何と十数冊の関連本を置き、「これを読みなさい」と言いました。そのどれもがかなり分厚い本なのでどうしようかと迷 いましたが取りあえず毎晩1章ずつ読む事にしました。 

 

そして、その晩から安眠のために 読む読書習慣が何と悪夢にうなさ れる日々へと変わりました。何故 なら毎晩、人がどの様に虐殺され ていくかが克明に書かれていたからです。手足が切り離されたり、鼻を削がれたり、舌を抜かれ足を切り落とされたり、水攻め、火責め、動物に食い殺されたり、男は奴隷船で船を漕がされ、女は性奴 隷に売られるか一生、刑務所に入れられる。女も子供も容赦なく切 り殺されていく。 

しかも、この殺される人たちはみな、何も悪い事をしていない。寧ろ、聖書に忠実に生き、神を愛し人を愛する人が最初は国の支配者 からその後は、教会や違う宗派か ら異端者と見なされ虐殺されていくのです。これがキリスト教の真の歴史でした。私は、学生時代、世界史が得意だったのである程度の知識はありましたが、この本によって詳しい歴史を知り衝撃を受けました。多分、著者がキューバ人の学者なので視点が今までの本とは 違うのでしょう。しかし、この本 は欧米の神学校の教科書として一 般的なので彼の歴史理解は正しいのだと思います。ただ、毎晩、こんな本を読み続けた私は夜中に寝 言を言い、ベッド脇の壁を爪でぎ りぎり引っかくようになってしまいました。そこまでストレスに なっているのにこの本を読み続け るのには私なりに理由がありま す。人間は仲間には寛容でも仲間とは思えない人や考えや思いが違う人間には、どこまでも残酷になれると言う人間の本性がこの本を通して実感出来るからです。 

 

又、他人ごとの様に言っていますが、実際、私にもその様な思いが 全くないとは言い切れません。虐殺と言うとんでもない行為には至らなくても私達の身近でもこの様 な残酷な仕打ちが行われているの では、ないかと思いました。 

イエスが仰った「敵を愛する」と 言う言葉の重みを改めて感じまし た。そして「あなたの隣人を自分 と同じ様に愛しなさい」と言う命令と「あなたの隣人とはあなたが 考えている人ではなく、あなたが軽蔑し嫌っている人なのかもしれ ない」と言うイエス様からの問いを改めて噛み締めています。

 

「月報」2月号の巻頭言: 「仲間」  郷津 裕


 毎月、市内の牧師たちが集まり おしゃべりと祈りの時を持ってい る。牧師会が終了すると教会員か ら温泉チケットをプレゼントされた 牧師が毎回、皆を温泉にタダで連 れて行ってくれる。こんな事を書 くと皆、元気な人ばかりなのだと思われるかもしれないが、実は私 たち夫婦以外は、みな、大病を 患っている。 

「死」を宣告された方が二人、心筋梗塞で心臓が半分以下の働きしか出来ない方、最近、腎臓癌で手術を受け、糖尿病が悪化し腎臓機 能が落ちてしまった方、クローン 病で食事から栄養が取れないので点滴を背負っている方、他にもみ んな何らかの病気を抱えている。

 

こんな情況なので今年最初の牧師 会では、どの人も「来年、どう なっているか判らないが、少なく とも今年は、教会の仕事を頑張り たい」と言い、皆で泊りがけの牧 師会をする事にした。 いつもこの牧師会に出ると「自分 が抱えている問題や悩みなどは、 どうっていう事もない、ちっぽけ な事だ」と思えてくる。 誰も無理したり、見栄を張ったり する必要もなく、自分の弱さをさ らけ出しても誰も責めたりする事 もない、実に気楽な集まりなの だ。どれだけ、この交わりを通し て自分が問題だと感じている事へ の視野が広がったか分らない。 

でも、残念ながらこの様な関わり を自分の団体の牧師会や他の団体の集まりでは経験する事がない。   この違いは、どこから来るのだ ろうかと考えると多分、市内牧師 会は、みんな団体も背景も違うか らだと思う。共通点があるとした ら「神様から主の御用をするよう に召されて今、牧師をしている」 と言う事実しかないのだ。最初か ら「みんな自分とは違う」と言う 前提に立っているので違いを追及 したり、それを議論する必要もな い。寧ろ、違いを知って自分の思 考や行動が必ずしも絶対なもので はないと学び合えるのだ。

 

この牧師会の特徴は、教会や一般 社会での人間関係にも生かせる気 がする。夫婦、親子であっても 「みんな自分とは違う」と言う前 提に立つべきなのだ。自分とは違 うのだから簡単に判り会えると 思ってはいけないし自分と同じ様 に考え、同じ様に行動する事はな いのだとまず、思うべきなのだ。 違いを認めるからこそ相手の話し に耳を傾ける事が出来る。通常、 「仲間」とは、何も言わなくても 気心が知れている関係だと思われ がちだが、仲間だと思うからこそ もし、自分の思いが届かないと傷 付いたり、ダメージを受ける。 寧ろ、「相手は自分とは違う存在 なのだ」と意識して判りあえるよ うに関わる努力が必要なのだと感 じる。こんな事を常陸牧師会は私 に学ばせてくれている。今年もこ の仲間たちと主の働きを精一杯し ていきたいと思わされている。 

 

 

「月報」1月号の巻頭言: 「私の失敗」  郷津 正子

 

 私は、昨年の秋、帯状疱疹、イ ンフルエンザと2ヶ月、体調不良 が続きました。特にインフルは、 病院で検査をしてもらえず、風邪 と誤診され40度の高熱が3日も 続き、味覚障害になり2週間、果 物以外を口にする事が出来ません でした。そんな体力のない状態で 仕事上のミスも重なり、すっかり 気落ちしやる気をなくした私は、 横になっている時間がどんどん増 えていきました。 

 

ある日「もしかすると、私はうつ 状態?」と思いました。いくら聖 書を読んでも心には響いてこず、 感動箇所を書き記すノートも全 く、白紙状態が続きました。こん な事になったのは、自分が予防接 種の効果を長く持たせようと今年 に限って接種時期を遅らせた事が 原因だと自分を責めていました。 そんな私に追い打ちを掛けるよう に予防接種の前日、病院から「明 日から休診するので予防接種は1 2月25日以降になる」と連絡が 来て私は、おかしくなりました。 

 

「どこまでもついていない。も う、やってられない。どうして神 様は、私にこんな酷い事をするの だ。一体、私のどこが悪いと言う のか。明日からインフルの予防接 種をしてくれる病院を探しても見 つからない。どうしてくれるの だ・・」と怒りの矛先を神様に向 けました。 

 

翌朝、幾つかの病院に電話を掛け ましたが案の定、12月中旬以降にならないと受けられない事が判 り、絶望的な気分になっていきま した。すると何故か私のリストに挙 がってもいない、全くどこにある のかも知らない1つの病院の名前 が目に飛び込んできました。 そこに電話をしてみると何と「今 すぐ来たら明日、接種できる」と 言われたのです。でも、問題があ りました。40分後にお客様が来 るのです。行くだけ行ってみよう と夫に言われ、車に飛び乗り、予 約を済ませて家に戻ると5分後に お客様が到着しました。 

更に不思議な事は続きました。翌 日、予防接種に行った折、今まで 通院している病院が休診すると薬 が切れてしまうので検査をして薬 を1ヶ月分、出してもらう事にし ました。すると医師から「今、飲 んでいる薬は、すべて私には必要 がない」と言われてしまったので す。20年以上、飲んできた薬でし たが、何故か2~3年前から「薬 を飲まなくても良い身体にして下 さい」と祈っていたのをその時、 思い出しました。 私は、こられの出来事を通してい かに人間は、目先の事で一喜一憂 する弱い存在なのかと思わされま した。そして身体と心と魂は、相 関関係にあり、どれかが調子を崩 せば、他も影響を受ける。実にな さけない存在だと感じました。だ からこそ、永遠と言う視点で私た ちをご覧になる神様の助けが必要 なのだと改めて気付きました。 

 

 

 「月報」12月号の巻頭言: 「不思議!」  郷津 裕

 

 

 お世話をしているMさんが大腿骨を骨折し何と私達がMさんのお世話をする切っ掛けになった病院に運ばれた。4年前、Mさんは、自宅近くの路上で転び、右肩を骨折しその病院に運ばれ、何故か私たちにその連絡が入った。民生委員さんの到着が遅れたため、私が入院手続きをした。やって来た民生委員さんにMさんは、怒鳴りつけ、2度と顔を見せるなと言い放ち民生委員さんは、関わりを断ってしまった。その結果、私達夫婦がMさんの世話をせざるおえなくなってしまったのだ。その上、病院側は、身内ではない私達には、一切の説明をしてくれず、1ヶ月後、突然、右肩を固定し自力では、何も出来ないMさんに退院を命じた。

 

 

 当時、家には、パーキンソン病の母がいてMさんの世話まで出来ない事を知った地域包括センターの方が年末、年始の2週間限定と言う事でショートスティーをさせてくれた。しかし、「2週間後、どうするのだ」と頭を抱えた。するとMさんは、またもや転倒し尾てい骨を骨折して車椅子状態になり、治るまでそこにいられる事になった。更に、介護認定の調査が入り、要支援1だったMさんは、要介護4の認定を受け、特養への申込みをする事が出来た。

 

これでMさんの世話から解放されると思ったら、いくら待っても入所の許可が下りない。その理由が私達が身内ではないからだと判った。施設が求めていたのは、死亡時に遺体が引き取れる人だったのだ。またもや、私達は、万事窮すに陥った。

 

Mさんの親戚の名前もどこに住んでいるのかも何も知らないので市役所に行き頼んだが個人情報と言う事でMさんが死んだら市役所が探すと言われてしまった。それならば「市長が保証人になって市の施設に入れてくれ」と頼んでみたが、それも無理だと言われ、またもや、万事窮すとなった。

 

 

 すると家内は、ある日、突然、「今日、親戚を見つけてくるから」と施設の人に言い、私に「多賀駅周辺の近くに小さな川がある所に行ってくれ」と言った。そんな事で見つかる訳もなく、諦めかけた時、小さな川が見えて庭で作業をしている男性がいた。家内が尋ねると何とその人がMさんの甥だったのだ。しかし、Mさんが、隣近所を含め迷惑を掛け、追い出されていた事実を知り、万が一の時だけ判子を押してもらうと言う承諾を得て、そこを立ち去った。でも、身内が見つかったと言う事でMさんは、翌年、施設に入所出来た。Mさんと関わって4年、毎年の様に万事窮す状態が訪れる。そして、その後に必ず小さな奇跡の様な事が起こり問題を乗越えてきた。私たちは、Mさんを通して寧ろ、神様の見えざる御手の力を体験させられる恵みに与っているのではないかと思わされた。

  

 

「月報」11月号の巻頭言: 「話を聴くこと」  郷津 正子

 

秋の宣教区修養会で大変、有意義な学びをしました。内容は、「若い人たちとどの様に関わっていくか」と言う事なのですが、そこで言われていた事は、すべての年代に通じるコミュニケーションに関わるものでした。どの人にも役立つ内容だったのでご紹介したいと思います。

 

1、「若者」がつい心を開きたくなる教会の大人の特徴(こんな大人がいい!)

 

①いつも笑顔が素敵(目の奥も笑っている。疲れている時、ホットする笑顔)

 

②人の話に興味を持ってくれる。(どんな話でも目を輝かせて聞いてくれる。)

 

③心配してくれる。(表情を察して気に掛けてくれる。後で思い出して尋ねてくれる。)

 

④話し方が分かり易い。(声が大きすぎず小さすぎる事もない)

 

⑤生き方に筋が通っている。

 

(行動に矛盾がない。生き方が恰好いい。)

 

2、若者が心を閉じる教会の大人の特徴

 

①裏表がひどい。(相手や場所で表情、口調が変わる。)

 

②上目線(決め付け・模範解答ばかり・人の意見を聞かない)

 

③自己開示が高い(自分の話ばかり)・自己開示が低い(プライベートな事は話さない。)

 

④自己卑下が過ぎる(謙遜度が過ぎる。自分はダメ人間だとばかり言う)

 

⑤馴れ馴れしい(人の時間を大切にしない。すぐ身体を触る。距離を取ってくれない)

 

 

 

3 話すと言う行為に含まれる6つの欲求

 

①感情を表に出したい②共感して

 

欲しい③受け止めてもらいたい

 

④初めから否定、批判をされるの

 

は嫌だ⑤自己選択で解決したい

 

(押しつけはいや)⑥秘密は守っ

 

て欲しい

 

 

 

4、話を聞く人への4つの戒め

 

①アドバイスは最小限②結論は出さない③お説教をしない④自己卑下しない(自己卑下は自分に目を向けている事になるから)

 

 

 

 今回の講師の話は、実際に若者たちの意識を調査し論文として纏めた物が元になっているようで仏教関係の出版社からも発行されているのでキリスト教会のみに当てはまる事では、ありません。

 

「若者だけでなく、子供から老人までみな、自分に関心を持って欲しい、そして、私の話をちゃんと聞いて欲しい。でも、親身に話を聞いてくれる人がいない」と思っているのだと思います。こんな孤独の中を生きている人がきっと、たくさん、おられるのだとこの講演を聞きながら感じました。

 

そして、少しでもそんな人の傍らで話を聞く、そんなささやかな関わりをもっと持ちたいと思わされました。

 

 

 

 

「月報」10月号の巻頭言: 「顧みたこと」  郷津 裕

 

 家内から「祈りの家オリーブの里」に連れて行って欲しいと頼まれ出掛けた。そこで私は、偶然、インターネット上に私の事が他人の口を通して語られているのを知った。(ある牧師が私の事を説教の中で語った原稿らしい)それを読みながら私は、若い時の事を思い起こした。

 

 私は、高校生の時、飢餓で苦しむ東南アジアの人々を助けるため農業技術者になろうと農学部に進んだ。そして研究生の時に生涯を神様のために使う決断をし神学校に進んだ。将来、宣教師としては入れない国に農業技術者と言う名目で宣教に行く事になるのだろうと思っていた。

 

 

 一方、家内は高校生の時、倒産し債権者に追われる人々の窮地を見聞きし倒産専門の弁護士になろうと決意し法学部に進んだ。その後、クリスチャンになった家内は、私と同様、「生涯を神様の御用のために使おう」と神学校に進む事にしたが、入学直前に病気になり、闘病生活の中でクリスチャンの霊的成長のためのプログラムを提供する教育主事になると言うビジョンが与えられ私と同じ神学校に進んだ。ところが卒業後は米国に行く事が決まった3日後、私との結婚話が起きてしまった。当然、家内は、断るつもりでいたが祈りの中で「ビジョンを与えるのが私ならビジョンを奪い、変更する権利も私にある」と言う神様のみ声を聞き、自分の夢を捨てて宣教師になるビジョンを持った私と結婚した。私のビジョンを知っていた当時の主任は「正教師になったらすぐに日立を去りなさい」と言われていたのに突然、補教師の私を置いて大阪に転任してしまった。私は補教師のまま、補教師を伝道所に迎え主任になるしかなかった。その後、伝道所に次々と問題が起こりその対応に追われているうちに宣教師になれる年齢制限を越えてしまった。家内に「あなたのビジョンはどうなるのだ?」と詰め寄られ、私は、「どうやら私への神様の計画は宣教師ではなく牧師だったみたいだ」と他人事の様な応答をした。

 

 

 それから何十年も経った後、家内が「私が米国で教育主事の資格を取ってきても今の様な働きは、絶対、出来なかった。私のビジョンを理解し応援してくれる人と結婚出来たからこそ、クリスチャンのための教育プログラムやテキストをこんなにたくさん、作成し続ける事が出来た」と感謝された。

 

私たち夫婦は共に自分の夢や願いとは、随分、かけ離れた人生を生きて来た気がする。

 

でも、振り返ると状況に流されるまま生きてきたと言うより、私たちには判らない神様の計画の中で前に進ませられて来たと思う。これからも、きっと自分の思いや計画とは全く違った道へと導かれるていくのだろうが、それが自分にとっては、最善の道なのだと改めて気付かされた。

 

  

「月報」9月号の巻頭言: 「アルプスの少女 ハイジ」  郷津 正子

    

私は、今までは特にアニメーションに関心があった訳ではありませんが、NHKの連続ドラマの「なつぞら」を見ていて1本の作品が出来上がるまでにどれほどの時間と労力が使われるのかを知りました。そして、たくさんの熟練した才能ある方々が必死に生み出したものなのだと判り、アニメーションの凄さに感動を覚えていました。そんな時、京都のアニメーション製作現場でとんでもない惨劇が起きました。

 

 

そんな深い悲しみを覚えている私に夫が仕事で東京から戻ると「アニメの『アルプスの少女ハイジ』は、原作とは全く、違っていて原作は「人間の再生」をテーマにしているらしい。NHKの『100分で名著』のテキストを買いに行くぞ」と訳の判らない事を言いました。どうやらある牧師が「うちの教会員が『100分で名著」に出演してそこで話をしたが、それが凄く良かったのでテキストを読め」と勧めてくれたらしいのです。放送からかなり時間が経っていたのでテキストを見つけるのは大変だったみたいですが、ある日、夫が「先に読みなさい」とそのテキスト渡してくれました。

 

 

しかし、正直な所、私は名作と言われていて世界中で放映されたアニメの「ハイジ」を見ていません。又、予備校の宣伝に用いられているハイジの絵を見ながら、イメージが違うなあといつも思っていました。だから正直な所、アニメが原作と違っていてもどうでも良かったのです。でも、夫がやっと手に入れてきたテキストなので読んで見る事にしました。

 

すると原作とアニメがあまりにも違う事に驚きました。アニメでは、みんな良い人として描かれていますが、原作では、人間の醜い心の暗い部分や癒しがたい心の傷が描かれているのです。

 

 

特にアニメでは歩けなかったクララがハイジやペーターに励まされて歩けるシーンがクライマックスなのですが原作では、ハイジの関心がクララばかりにいくことに嫉妬したペーターが高価な車椅子を崖から落とし、そのため、クララは歩けるようになったのです。しかも、原作のペーターはハイジよりかなり年上で10代後半の青年なのに子供に嫉妬すると言う愚かな一面が描かれています。

 

最もアニメとの違いは、クララの祖母によって祈りや信仰の素晴らしさを教えられたハイジが、今度は、長年、問題を抱え苦しんでいた祖父やクララの主治医の心を癒すために用いられる点です。

 

きっとアニメのハイジが作成された時代は、アニメは子供が見るものと思われていたため原作の深い人間理解までを描く事は出来なかったのでしょう。もし現代だったら違った作品になっていたのだろうなあと思いながら昔のアニメーターさんの労苦に改めて思いを馳せました。

 

  

「月報」8月号の巻頭言: 「選挙」  郷津 裕

    

 参議院選挙の直前、1通の封書が届いた。それを開封した家内が「いいのかな?」と何度も呟いているので理由を尋ねた。すると家内は、「著名な牧師先生方が参議院選挙に出馬するある候補者の推薦をしていてその方への投票を依頼している文章なの。いいのかな?」と言っ。それを聞いた私は、即座に「そんな物は見たくないから捨てなさい」と言った。

 

 その時、私は、昔のある出来事を思い出していた。一人のクリスチャン青年が日立製作所に入社され、うちの教会に集われるようになった。その青年がある日、血相を変え、「こんな事を許すのですか?これは、明らかに選挙活動でしょう!!」と怒鳴った。どうやら、教会員の誰かが、ある議員の後援会申し込み書(記入するように頼んだ紙を添えて)を教会の受付の机の上に置いたらしいのだ。

 

置いた人からすれば、記入するかどうかは個人の自由だから問題はないと思ったのだろうが、東京から来た彼にとっては、この感覚が理解出来ず「この日立の町、そして、この教会は、どうなっているのだ・・」と憤慨したのだった。

 

やがて彼の父親が朝日新聞の論説委員で彼自身がとても社会的な事に関心が強い事が判った。それで家内は、「日立製作所を辞め、ジャーナリストになるべきだ」と助言し1年後、彼は、製作所を辞め、テレビ局の記者になった。私は、この出来事から「政治的要素があると思われる事には、もっと敏感になろう。そして、今後は、政治的な事には、一切、関わらない」と決めた。それで送られてきた推薦書を読む事もしなかったのだが、翌日、思いもかけない事が起きた。

 

 

 市内の牧師の集まりに参加していると窓の外に一人の男性が立っていた。何とその男性が前日に送られてきた封書の方だったのだ。

 

その方は日立市出身で参議院議員を何期も勤められ、選挙活動開襟日に真っ先にご自分の信仰の証しをもって幼馴染がいるその教会を訪ねて来られたのだ。まさか、そこで市内の牧師会が開かれているとは思っていなかったらしく、しばしの間、雑談をして帰られた。

 

私は、この2日間の出来事から、今まで「政治的な事柄からは距離を置こうとするあまり、政治には無関心でいようとしていたのではないか」と思った。確かに私の心の中には「どんな政党が優位に立ったとしても根本的に世の中は変わらないし良くは、ならない」と感じているのも事実だ。しかし聖書には「為政者のために祈れ」と書かれている。私は、今まで果たして真剣に祈ってきたのだろうかと反省した。少なくとも世の中を良くしたいと言う動機で立候補する人たちがいる事は事実なのだからもっと真剣に選挙に関心を持たなければならないと気付いた。

 

 

 

 

「月報」7月号の巻頭言: 「捉われからの解放」  郷津 正子

  

先日、教会学校のキャンプ下見で立ち寄った先で「お孫さんは喜びますよ」みたいない事を何度も言われ、年令を考えれば当り前の話しなのに私はショックを受けました。昨年までは「子供会ですか?どんなグループですか」と聞かれる事はあっても孫の世話をしている老夫妻に見られた事がありませんでした。でも、どうして私は、「年寄りに見られた事を気にするのか」と後で自問自答しました。そして、気付いたのです。私は、長い間、「ある思いに支配されてきた・・」と。少々、長くなりますが、私が牧師婦人になる前の話しをしたいと思います。

  

私は大学1年の時にクリスチャンになり4年の時に長い間の夢を捨て結婚も取り止め、神学校に進む事にしました。しかし、神学校入学直前に突然、歩けなくなり、幾つもの病院で「手術をしても治らない」と宣告されました。何故、すべてを捨てた自分がこんな目に合うのか判らず葛藤し苦しみましたが、やがて聖書の言葉に励まされ、手術を決断し秋入学で神学校に入る事も決まりました。でも秋になっても病院からの退院許可が降りず、外泊許可でクリスマス礼拝に出て病院に戻ると再び、歩けなくなりました。更に医師から「実は、半年前の手術は、大失敗で再手術が必要なので更に2年、入院してもらう」と告げられました。私は、何故、こんな事になるのかを神様に問うため、自宅に戻って祈りたいと考え、無理やり外泊許可で家に帰りました。そして、そのまま、再手術の決断が出来ないまま2年も外泊許可のまま、自宅療養をしていました。3年目を迎えた頃、当時、付き合っていた人から「病人が牧師婦人になるのは無理だからと結婚を反対されたが、自分は、結婚をして神学校に行きたい」と告げられました。でも、私は、とても惨めな思いになり、婚約を解消し大阪の病院に行って「もう手術をする気はないので退院許可が欲しい」と訴えました。すると医師は「あなたは治っていない。だからあなたに明日はない。それでも手術を受けないなら勝手にしろ」と言われ、やっと退院許可が出ました。

 

 

その後、私は、「卒業出来る保障はなくても神学校に進もう」と決断し28才の時に入学しました。入学式の日、私は「10年近く、人よりも遅れを取ってしまった。だから、これからは、実年令より10才若いつもりで人の倍働いてこの遅れを取り戻すぞ」と決心しました。そして、この思いが私の今までの原動力だったのです。 

 

私は、キャンプ下見後、「明日がわからなかった私が手術から40年以上もち応えて十分、遅れは取り戻した筈だ。もう、そろそろ、自分の実年令を受け入れ自分の頑張りを捨て素直に神様のなさった私への小さな奇跡を感謝するだけでも良いのではないか」と気付きました。

  

 

 

「月報」6月号の巻頭言: 「初心忘るべからず  郷津 裕  

 

    先日、仕事であるキリスト教の巨大福祉施設を訪れました。そこに行った目的は、そこの老人ホームに入居されている93才のN先生のご様子を見に行くためでした。同盟教団では、毎年、引退された先生方を支援するために謝恩デー献金を実施しそのお金を毎年、申請された方々に支給しているのですがN先生からは2年間、申請書が出ていなかったのです。このままだと規定で支給出来なくなるので責任者である私が様子を見に行く事になりました。

 

 

 出掛ける前に以前、N先生にお会いした方から「2年前でも物が部屋に散乱し認知症気味だった。耳も遠いので意思疎通は難しいと思う」と聞かされました。確かに訪問の連絡を電話ですると全く、話が通じず施設の方の介在で何とか訪問の日程だけは伝える事が出来ました。正直な所、私だけでは不安なので認知症の方と何故か意思疎通が出来てしまう家内にも同行してもらう事にしました。

 

 

 そのキリスト教施設に着くと家内が「この福祉施設は、あまり良くないと思う。どの建物からもキリスト教の香りが全くしない」と妙な事を言い出しました。

 

N先生の部屋に案内されると確かに物が溢れ、まさに乱雑な情況でした。「やはり認知症が進まれたのか」と私は思いました。しかも、N先生は口から泡を出しながら「このキリスト教福祉団体の創設者から長年に渡るいじめを受けしかも、この施設で働く人達が創設者を見習って収容されている人たちの人権を無視している」と言われるのです。

 

私は「認知症が進み誇大妄想になっておられるのだ」と思ったのですが家内が、「N先生は記憶がしっかりしているし言っておられる事にも矛盾がない。多少の誇張はあっても噓は言っていない」と言い、N先生の心身情況が私にはさっぱり分らなくなってしまいました。

  

 N先生の訪問後、所属している教会の牧師先生の所に寄る事になりお話しを伺うと何とN先生の話がすべて事実だと言う事が判りました。しかもその牧師夫妻までもがこの福祉団体の創設者や関係者からいじめを受けておられたのです。俄かには信じられない話でしたが最初に家内が「キリストの香りがこの福祉施設には感じない」と言ったのが当っていたのです。帰り道、車中は重苦しい雰囲気になりました。「何故、多くの苦しんでいる人を救おうと始めた愛の業が長い年月の間に変質し逆に人々を苦しめる業に変わってしまったのか・・・」そんな事を思い辛くなりました。どんなに動機が良くても又、現実的にその業が大変、祝された物になったとしても初心を忘れると人やその働きは簡単に変質する。そんな事を改めて気付かせてくれる旅になりました。

 

  

「月報」5月号の巻頭言: 「常識とは?」  郷津 正子  

  

先日、日帰り入浴に行った折り、私は老人に怒鳴られました。

 

その日は、いつもより脱衣所が混んでいてお風呂から上がってきた一人のおばあさんが通路の真ん中で立ちすくんでいました。きっとロッカーが私の近くなので待っているのだと思い「すいません。すぐ終りますから」と言うと「何がすいませんだ。ロッカー番号ぐらい判ってるわ」と怒鳴り私の後ろのロッカーを開けようとしました。すると今度は、身体がぶつかり、思わず「すいません。狭くしてしまって」と言うと「何がすいませんだ」とまた怒鳴られたのです。私なりの常識が全く通用しない事に暫し茫然としました。

 

 

するとその瞬間、昔、バイト先でお茶出しをした時に同じ様な経験をした事を思い出しました。一人の人から「お茶ぐらい自分で煎れる。何故、頼みもしないのにお茶をいれた」と怒鳴られたのです。実は学生時代、バイト先のお局さんの様な女性に「年下の女性がその課全員のお茶出しをするのは社会の常識だ」と指導されていたのでその時も当たり前の様にお茶を出したので怒鳴られた理由が判りませんでした。余談ですがお局さんから指導を受けた事が、もう1つありました。「社会に出てお化粧をしないのは裸で会社に来ているのと同じぐらい非常識だ」と注意されたのです。実は高校卒業後から私は化粧をしていましたが当時、付き合っていた人から「クリスチャン女性は化粧をしないのが常識だ」と言われ、化粧をしない事にしたのです。

 

 

こんなどうでも良い過去の経験がお年寄りに怒鳴られた時、一瞬にして思い出されました。そして「自分にとっての常識が必ずしも相手の常識だと思い込むのは早計なのではないか?」、「自分の常識」で相手を測り、あの人は非常識だ。常識をわきまえていない駄目な人だ」と切り捨てる事をしてはいないだろうか・・・そんな事も考えるようになりました。

 

 

それから暫くたって聖書を読んでいた時、「自分は人の歓心を得ようと行動はしていない」と言うパウロの言葉から私が常識的に行動したいと言う思いの背後に「他人に良い人だ。感じの良い人だと思ってもらいたいと言う下心があるかもしれない」と思いました。

 

クリスチャンになる前の私は、確かに他人に良く思われたいと言う願望で良い人を演じていたと思います。でも信仰を持った時、この点が一番、私の罪として示されました。それでそれからは、「人からの歓心を得ようとしない生き方」を決心した筈でした。でもいつのまにか他人の目を意識して「相手を不快にさせないように行動しようとしている自分がいる」と気付きました。

 

脱衣所での経験が何故か信仰の原点、初心を思い起こさせる切っ掛けになりました。

 

  

 

 

「月報」4月号の巻頭言: 「おもてなしの心」  郷津 正子 

 

  先月、日本一、小さな神学校の卒業式に出席するため新潟に出掛け、その旅の中で「おもてなし」について考えさせられる2つの経験をしました。

 

1つは、神学校での心温まる「おもてなし」の経験です。たった二人の卒業生を励まし送り出すために直接的な関係者だけでなく、純粋に二人の卒業を祝いたいと願う人達でチャペルは一杯になっていました。派手な要素はどこにもありませんでしたが、精一杯の「おもてなし」の心が溢れた温かい卒業式でした。

 

 帰り道、「たった二人のために2時間も掛けて卒業式をしてその後には、手作り品で茶話会をして皆をもてなす。愛が詰まった素晴らしい卒業式だったね」と言いながら車を走らせ宿に向かいました。宿に着くとそこは予想以上に立派な旅館でした。部屋のパンフレットには「おもてなしに力を入れていて料理、接客、お風呂に関してお客様からお褒めの言葉を頂いております」と書かれていました。でも、お風呂に行こうとタオルを取ると新品ではありませんでした。更に使い捨てのブラシの上には、紙が被っていて再利用されるみたいです。私は、「今流行りのエコを意識した旅館なのだ」と勝手に思いました。夕食は、立派な食事処に案内されたので、どんな料理が運ばれてくるのかと期待しましたが、着席するとすべての料理が既にセットされていて火を付けるだけでした。しかもその料理は、全く手を掛けたとは思えない品ばかりで最後のデザートも笹団子1個といちご一粒でした。旅館に泊ってここまで手抜き料理を食べた事はなかったので安いプランのせいなのかと後悔しました。しかし、翌朝の食事でこの旅館の実情が判りました。100人近い人が食事をしているのに従業員一人で接客し時折、老人のコックらしき人が業務用食材としか思えない品を補充に現れました。きっと経費節減のために最低限の従業員で仕事をし料理に手もお金も掛けられない状態なのだと判りました。まさに自分たちの都合だけが優先され、お客様が置き去りにされている旅館だったのです。でも、この旅館が再生されるためには昔の様に「おもてなし」を自慢出来る姿勢に変わらなければ難しいだろうと思いました。

 

 「たとえお金がなくても又、十分な人手がなくても「おもてなしの心」さえあれば工夫はいくらでも出来る筈なんだけど・・」と帰りの車の中で言うと夫が「他人事ではないぞ。教会も世の中的な職業分類では、サービス業になる。だから、教会も自分たちの事情や都合ばかりを優先し新しい方やお客様への配慮を怠ったらやがては閑古鳥になると言う事だ。」と言われてしまいました。夫の話を聞きながら今回の経験を教訓として「おもてなしの心」について再考しようと思わされました。

 

  

「月報」3月号の巻頭言: 「試練の対処法」  郷津 裕 

  

水泳の池江選手が「白血病で静養する」と言うニュースを聞き、多くの国民は驚いたと思います。でも私をもっと驚かせたのは翌日に彼女が「神様は乗り越えられない試練は与えない。~必ず現役復帰を果たします」と言うコメントを出した事でした。この言葉を耳にした時、まるで聖書の言葉と一緒だと思いました。聖書には、「神様が耐えられない様な試練に合わせる事はなく、必ず脱出の道を備えて下さる」(Ⅱコリント10:13)と書かれています。殆どのクリスチャンは、このみ言葉を暗記し座右の銘の様に思っている所があります。しかし、池江選手がこれから直面する治療の大変さを思うと彼女がこの言葉を語った事が「かせ」となり、自身を苦しめる事にならないかと心配になりました。何故なら、人は、自分が思っている程、強くはないからです。

 

 

 試練に対処する方法は、人それぞれ違いますが、大きく分けると幾つかのパターンに分かれる気がします。それは、家内の3姉妹が試練に直面した時の行動の違いを見て感じるのです。次女の試練は、夫に愛人が出来て離婚になり親権争いに敗れてカナダに渡って2度目の結婚をします。しかし、またもや、夫に愛人が出来て財産をすべて奪われた挙句、離婚になります。そして校長秘書として務めると今度はその校長からセクハラを受け、裁判ざたに巻き込まれます。

 

 

一方、三女は、長男を出産直後に長女が世界で5例しかない難病に罹り助からないと宣告されます。しかし、家一軒分の費用を掛け、病院に付き添って1年後、娘を生還させます。しかし、長男の中学受験の直前、義父の商売の失敗から夫が借金を背負い、自己破産となり、またもや財産すべてを失いました。

 

こららの試練に合った時、次女は泣き叫び、毎回、自殺未遂を起こします。その度に長女である家内は駆けつけ、励まし、新たな目標を妹に示して気持ちをそちらに切り換えさせます。素直な彼女は家内の言葉に従い、数年後には、そんな試練に合った事をすっかり忘れ、前向きに歩み出します。

 

一方、三女は、いつも完全なうつ状態になり、何も出来なくなります。それで家内が代わりに事態の対処に当り、渋る彼女を少しずつ時間を掛け日常生活に戻します。

 

では、長女である家内はどうかと言うと忘れぽいのか試練に合った事すらすぐ記憶から消え、新たなチャレンジに邁進します。でも、家内はこっそり私に「本当は、私だって落ち込む。でも、何が起きてもイエス様が私と一緒だから大丈夫だと思えてくる。そして必ず脱出の道が見えてくると信じられるから勇気が出てくる」と言いました。

  

 

「月報」2月号の巻頭言: 「疑問が解決した」  郷津 正子

 

 

 私の一番の気分転換は、本屋に行く事ですが、趣味を「読書です」とは言えません。何故なら、本を読むのが人より速い分、忘れるのも超速いからです。そのため、私の本棚には同じ本が何冊も入っていたりします。多分、私は読んだと言う達成感が欲しいだけで中身を記憶しようと言う思いが全く、ないのだと思います。そう言った意味で同じ本を2度読むと言う事を今までした事がありません。但し、この本に出会うまでは・・・。「こわいもの知らずの病理学講義」と言う本を私は、今、2度目に読書中です。何故、この本に惹かれるかと言うとずっと疑問に思っていた事に答えを得たからです。

 

 

 私は、何故、最近、自分の周囲の人達に「血液の癌」が多発するのか不思議でした。それで血液内科医をしている甥に尋ねると「原因は老化です」といとも簡単に言われてしまいました。それで老化と癌の関係を知りたいと言う願望があり、この本を手にしました。

 

この本は、何故、人が癌になるのか、叉、様々な癌がどうして発症するのかを大阪のおばちゃんにも理解出来る事を目指して書かれた本です。何故、大阪が出てくるかと言うとこの本を書いた人が阪大で医学生に病理学を教えている教授だからです。

 

 

 私は、この本で甥が言った意味がよく理解出来ました。人間はこの世に生を受けた時から細胞分裂を繰り返しています。細胞分裂の過程でDNAのコピーが正常に行われれば何の問題も起こりませんが、たまに書き換えミスが生じます。そして、このコピーミスが原因で癌が生まれるのです。つまり、長生きすればするほど細胞分裂の回数が増え、その分、コピーミスが生じる回数も増えます。長生きが、癌になる確率を増やすと言うのは、当たり前だと判りました。

 

 コピーミスが起こってそこから細胞が突然変異を起こして癌になるなら人間の努力で何とかなるものではありません。もっと極端に言ってしまえば癌になるのもならないのも運次第の様な世界です。

 

 

勿論、医学の発展により突然変異した細胞を絶滅させる事は出来るようになるでしょうが、このDNAのコピーミスだけは偶然に起こる事なので防ぎようがないと思います。

 

私は、この本を通して癌になる事を恐れて暮らす事はもったいないと気付きました。もし癌になったら「私の細胞ちゃんが、うっかりミスをしちゃったんだ」と諦めて自分にふさわしい治療方法を見つける事しか出来ないと思えてきました。そして、たった1つの本でもこんなに大きな考え方の変革を人に生じさせるなら、日々、聖書と言う人の人生を大変革させる本に出会えているクリスチャンは何と幸いなのかと改めて気づかされました。

  

 

 

「月報」1月号の巻頭言: 「新しい時代に向かって」  郷津 裕

 

先日、家内が「牧師を辞めたら海外の神学校で短期の聴講生にならないか」と言った。昔も同じ様な事を聞かれた時、「今、特に学びたい事がないから行かない。」と曖昧な返答をした記憶がある。しかし、今回は違った。「全く、行く必要性がない。何故なら毎日、インターネットを通して外国の神学校の授業を聞いている。生の授業と違って何回でも再生が出来て教授の語った事がすべて画面に文字で表示される。これを翻訳ソフトにかければ一瞬にして日本語のテキストが出来る。こんな便利な日常を捨ててどうして苦労して外国に行く必要があるのか」と答えた。すると家内が「確かにその方法なら知の蓄積は出来る。でも生の人間対人間の相互作用によってしか得られない学習が持つ、本来の醍醐味を味わえない。」と言われてしまった。

 

 実は、この時代にそんな人間がまだいるのかと思われそうだが家内は携帯もスマホも使用しない。インターネットも調べ物をする以外は、全く、見ない。家内は本を読んだり考えたりする時間を多く取るためにあえて便利な物を使用しない様にしているらしい。でも、自虐的に「今に私は時代から取り残され、過去の化石として放り出されるのだろう」と自分の事を冷静に見ている。

 

何故、こんな我が家のくだらない会話を書いたかと言うと2019年は、元号が変わり、新しい時代がやって来る。しかも、私にとって生涯2回目のオリンピックや万博も開催され、この2大イベントにより日本の技術革新は更に加速し全く、違った日常に我々は、押し出される事だろう。

 

かつては、世の中が大きく変わるのに30年程度、必要だったが今は、2~3年で全く、違った世界が広がる。10年先を正しく予測出来る人がどれだけいるのだろうか。そしてこの急激な世の中の変化に高齢になった自分達が果たしてついていけるのだろうか。

 

 世界も日本もみんな変わった時、当然、教会も変化する事だろう。やがて牧師の仕事は日曜日のみで他の日は、一般の仕事をする牧師達が増え、それに伴い教会の活動内容も大幅に変わっていくかもしれない。そして、高齢で教会に行けなくなった大勢の人達がインターネットを通して礼拝をするため会堂の中は閑散としていると言う事も起こるかもしれない。

 

もっと先の時代には、AI搭載の説教ロボットが自宅で礼拝している人々に変わって教会に来ているアバター(自分の分身ロボット)に向かって語っている。そんな未来の恐ろしい姿も想像出来る。

 

確かに教会は変わらざるおえないと思う。でも、「2千年続いたこの信仰だけは、そのまま、次の世代に絶対、引き継いで行きたい」と年頭に当って何故か私は強く、思わされた。

  

「月報」12月号の巻頭言: 「覚悟・クリスマス」  郷津 裕

  

 12月が近づくと大量の郵便物が届く中、たった2通しかポストに入っていない日があった。しかし、この2通は私に強い印象を与え「覚悟」と言う言葉を思い起こさせた。

 

1通は、牧師夫妻の「最後まで礼拝生活を守るための共同住宅」と言うビジョンに共鳴し数年前、公務員を早期退職しその働きを引き継がれたある男性からでした。

 

何と、今まで居住者の世話をし実質の経営者だった元牧師婦人が今年いっぱいで引退されると言うのです。この男性は料理も得意ではなく家庭があるので住み込みで介護が必要な方々の世話をする事も出来ません。しかも十分な給料がもらえないのでアルバイトもしなければならないのです。当然、この方は「共同住宅の閉鎖」を考えたらしいのですがある方から「覚悟が足りない」と叱られてしまいました。最初はその言葉に腹が立った様ですが自分が早期退職をしてまでこの仕事を引き受けた時に神様から示された御言葉を思い起こし「確かに覚悟が不十分だった」と思い直し頑張る事にしたと書かれていました。

 

 もう1通は貧しい国の高校生たちに奨学金を届けている教会からのお便りでした。その中に26年前、この教会からの支援を受けた一人の女性の証しが掲載されていました。彼女はとても貧しい家の長女で下にたくさんの弟妹がいて大学進学などは夢のまた夢でした。でも彼女は「求めなさい。そうすれば与えられる」と言う聖書の言葉に励まされ、その教会の奨学金を受けて大学に進み福祉関係の仕事につきました。そして更に教会からの奨学金を得て弁護士資格も取得したのです。その後、フィンランド人と結婚し子供も与えられ幸せに暮らしていました。ところが、彼女は今年、夫も子供もフィンランドに残し単身、フィリッピンに帰国し貧しい人たちの人権を守るための弁護士として働き始めたのです。

 

そんな大胆な行動の背後に「恩送り」があったと書かれていました。「恩送り」とは受けた恩をその人にではなく別の人にお返しとして贈ること書かれていました。彼女も大きな犠牲を払う覚悟を持って自分の人生を捧げる決断をしたようです。

 

 私は二人のクリスチャンの「主にある覚悟に基づく決断」に大変、心が動かされました。世の中の人から見れば「そこまでしなくても・・」と言われそうですが、私たちが信じる神様こそ、常識外れの愛を私たちに示して下さったお方です。きっと二人も神様に罪から救って頂いた恩を他の人にお返しとして贈るために自分の人生を捧げたのだと思います。クリスマスは「神様の御子が罪人を救うために身代わりとなって死ぬためにこの世界に来られた」と言う馬鹿馬鹿しい程の深い神の愛が示された時だと改めて思いました。

 

 

 「月報」11月号の巻頭言: 「答えはいらない人生」   郷津 正子

 

信州で行われた研修会で神学校時代の同室者に会った。彼女に会うたび、私は、神様のなさる不思議さを感じる。3年前、25年振りに会った彼女は筋ジスのため、車椅子生活だった。2年前は、杖をつきながらやっと歩いていたが、今年は、私よりもしっかりとした足取りになっていた。「病気はどうなったのか」と聞くと「医師からは治っている訳ではない。明日にも歩けなくなる可能性があると言われている」と答えた。

 

 

正直な所、私の知人の中で彼女ほど辛い人生を生きている人はいない。神学校時代も男性陣にもてすぎて女性陣の反感を買い、いじめられた。同級生と結婚し夫の留学に伴い外国に行き、そこで突然、筋ジスになり、しかも長女が障害を抱えて生まれた。でも夫は日本のキリスト教界の将来を担う筈の立派な旧約学者になり帰国し数々の本を出し神学校の教師、牧師として活躍された。それなのにある日、突然、身体が動かなくなる病気になり、発病から1年も経たずに亡くなってしまった。牧師館から立ち退きを求められた時、彼女は寝たっきりで幼い2人の子を抱え、途方に暮れた。

 

 

私は、きっと牧師をしている夫の両親や新約学者になった夫の弟夫婦の助けで何とか窮地を切り抜けるだろうと勝手に信じる事にした。しかし、彼女の不運は続き、次々と癌を患い手術を繰返し命が危ぶまれる状態になった。私は、何故、神様が彼女にここまで試練を与え続けるのだろうと少々、怒りを覚えるようになった。

 

昨年、彼女の義父、そして頼りにしていた夫の弟の妻までもが亡くなり、正直な所、「神様は酷すぎる。次々と頼りにする者を奪い、彼女を一人ぼっちにする意味が判らない」と私は思った。それで昨年、彼女に会った時、今の心境を聞いてみた。

 

彼女は「私がどんなに弱く決して一人では生きれない駄目な人間だと言う事を先輩は一番、知っている筈です。夫を先に召した神様の意図は、今でも判りませんが、夫は死に私が生かされていると言う事には意味があると思います。だから明日の事や来年の事は考えずに今を生きてきました。そしてここまで来れたのは神様そして多くの方々の支えがあったからです。今は、感謝しかありません。」と語った。

 

そして今年、彼女は「やっと長男が20歳になり長女も自立の道を歩み始めたので私がいなくても大丈夫です。一人で教会を牧する体力はありませんが神様の御用をしたいです」と言った。彼女と話した後、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くして下さったことを何一つ忘れるな」と言う聖句が思い起こされた。私も彼女の様に「何故?」の答えを求めるのではなく、「主を褒め称える人生」を生きたいと思わされた。

 

 

  「月報」10月号の巻頭言: 「ブラックマインド」   郷津 正子

  

 ここ数ヶ月、私は、「災害」と言うテーマで色々、考えさせられています。切っ掛けは夫から「災害フォーラム」(キリスト教の援助団体の集まり)で東日本大震災の時の経験を話す様にと言われた事でした。深く考えないで引き受けてしまったのですが、その日が近づくに連れて「私の様な者が専門家の前で話す意味はあるのか。それも7年半前の話しなのに・・・」と悩む様になっていきました。

 

 しかし、7月末、帰宅困難地域を車で通過して福島県の相馬市に行き震災時に援助活動に奮闘された牧師にお会いしました。その方はあの日の口惜しさを滲ませながら「あの時、私達はすべての援助団体から見捨てられた。そして今も地元の野菜を買えず水道水も飲めない」と訴えられました。私はその方の迫力に思わず「すいませんでした」と謝ってしまいました。そして自分の中であの震災の経験が既に過去になりつつあるのを反省し今なお震災の影響下で戦っておられる人々のためにもフォーラムで話す必要があると思いました。

 

それで20枚近いレポートを纏め、準備したのですがフォーラム当日、今年最大の台風がやって来て中止になりました。夫からは延期と言うより中止になるだろうと言われていましたが、10月末に延期になり3・11の経験を語る事が神様の御心なのかと思う様になりました。まさにそんな事を思い巡らしていた時、私の出身地である北海道で震度7の地震が起こりました。土地勘があるので正直な所、あのあたりが山ごと崩壊するなどとは夢にも考えられませんでした。私が生まれ育った頃、北海道に台風が来る事は一度もありませんでした。やはり自然環境が変わった今、在り得ない事が起こるのだと痛感しました。

 

そしてテレビの映像を食い入る様に見ていた私は突然、自分の中にある「ブラックマインド(心の暗黒面)」に気付いてしまいました。ライフラインの停止で奮闘している道民の皆さんを見ながら「日立市民の大変さはあんなもんではなかった。まだ、マシな方だ」夫も「まだ一日目じゃないか・・」と呟いていました。人の苦しんでいる状況を超客観視し自分の体験と比較し大変さのレベルを測っている自分に愕然としました。

 

今まで「被災体験が災害時の援助活動に良い影響を与える」と単純に思い込んでいましたが、自分でも予想しなかった心の奥底にあるブラックな面の存在にショックを覚えました。きっとこれからは1年に何回も大災害が各地で起こり、災害に対しても慣れっこになる時代が来る気がします。そうなると益々、被災者と同じ気持ちになるのは難しくなる事でしょう。改めて「いつでもどこにでも誰にでも起こりうる災害」と言う認識で自分の被災体験を再考しなければと気付かされました。

  

「月報」9月号の巻頭言: 「-30」   郷津 裕

 

 今年の夏、私は所属する団体の仕事で忙しい時を過ごした。現在、私は、牧師達の福利厚生面を担当する社会厚生部長をしているが、この所、その仕事が幾つも幾つも大きな問題にぶちあたる。

何故、私がこの職に着いてからこんなに問題が起こるのかと思うが、多分、高齢化が原因で牧師や教会に大きな変化が求められる時代に突入しているからだと思う。勿論、高齢化が必ずしも否定的な事ばかりを産む訳ではないと思う。しかし、現役世代が減り、年金生活者ばかりになれば当然、献金も減り、教会の経済も厳しくなる。そればかりか、教会の様々な活動を積極的に担う世代も減る。 

 先日も2年前に奥様を亡くされた77才の牧師先生の教会に説教の奉仕に出掛けた。その日は特別に東京から娘さんやお孫さんが来られていて昼食はテークアウトした唐揚げがメインだった。教会員がみな高齢化し年に数回、昼食を共にするだけのこの教会にとっては、今回の昼食準備は大変な事だったと思う。高齢化の波は、教会の状況を大きく変える。

 編集後記に書いた急死された牧師先生の教会もこれから厳しい現実に直面すると思う。何故ならその団体に属する教会の3分の1が現在、牧師が不在だと言う。理由は若い牧師達は最初から経済的に厳しい教会に来る事がないからだそうだ。急死された先生も77才でご自分の年金で生活されておられたので教会には若い牧師を迎える余裕はない。この教会と同じ団体の日立の教会も現在、牧師がいない。このままだと経済的理由で牧師がいない教会が増えていくばかりだ。幸い、私たちが属している同盟教団は、ここまでの状況には陥っていないが、地方の小さな教会では年金生活者の牧師達が頑張っておられる。

どこの教会も牧師も教会員も高齢化し大変な時代を迎えているが、これは何も教会だけの問題ではない。ある方から「今後、日立市の人口が17万台になりその1割が認知症だ」と聞いた。「まさか?そんな事態になったらこの町はどうなるのだ!」と思い、家内に話すと以下の様な事を言った。

 亡くなられた聖路加の日野原先生が「実年令から30才を引いて有名な孔子の『三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る』と言う言葉を当てはめるべきだ」と言われた。そうなると古希(70才)の人は40才になるからやっと惑わない時代になったと言う事だし80才にしてやっと天命を知る事になるのだからそれから頑張らなくてはいけない。高齢のイメージを変える必要がある気がする」と家内は言った。

この考え方だと私もまだ36才で惑っている時代になる計算だ。

実に高齢者を勇気付けるおもしろい考え方だと思った。 

 

「月報」8月号の巻頭言: 「バリアフリー」   郷津 正子

 

  2年半前に亡くなった母の事を思い出していたら急に知人のブルーベリー園に行きたくなった。そこを訪れた時、園主は母に「うちのベンツに乗せてやるから遠くのブルーベリーを取りに行こう」と言い、その言葉を鵜呑みにした母を軽トラの荷台に乗せた。母は振り落とされそうなでこぼこ道を通り、収穫し計量の段階になるといつもの様に愚痴っぽく「病気でなければもっとたくさん取れたのに」と言った。すると園主は「いや大したもんだ。これだけ取れるならどうだい今年の夏、うちでバイトをしないかい?」と誘った。母は「考えておきます」と冗談で返したが、その後、何度も嬉しそうにこの時の思い出を話した。

 

そんな事を思い出しながら久しぶりにブルーベリー園に行った。すると竹箒にまたがった子供達が砂を撒き散らして遊んでいた。園主が「魔女になれ!」と客の子供達に渡したらしい。あまりにも多くの子供たちがいるので不思議に思い「いつもこんなに子供が来るの?」と尋ねると「うちだと味見と言う事でいくら食べても無料だし帰りに親が500円のパックを買って帰れば数時間、ここで遊べるからたくさん来るんだ」と言った。「それでは商売にならないでしょう」と言うと「子育中で金が掛かり苦労しているママさんたちを一瞬でも幸せに出来たら最高だろう」と笑った。そして「さっきも障害者の人たちを無料招待したんだけど盲人がどうやって完熟したブルーベリーをみつけられるだろうと心配していたら聾唖者が彼の手に字を書いて教えたんだ。そして盲人がブルーベリーを口に入れたら何とも言えない幸せな顔した。俺、それを見ていて感動で泣いてしまった。そんな経験が出来るのは最高だよ。今、奄美大島で黒糖作りをしている90歳を超えた老人を手伝っているんだけど世の中にはおもしろい人がたくさんいる。そんな人達に会えるなんって最高だよ」と言って楽しそうに携帯の写真を見せてくれた。

 

彼はNTTを定年後、実家に戻り農業をしているので生活には困らないとは思うが、人と楽しく過ごすためにブルーベリー園をやっているのかもしれない。帰りの車の中でちらしを見ると「バリアフリー対応」と書かれていたので「あそこのどこがバリアフリー?段差だらけで危険だらけ。誇大広告だわ」と夫に言うと「バリアフリーの前に2文字が隠れているんだ」と謎掛けの様な事を言った。「2文字は何?」と聞くと「心の」バリアフリーだと言ったので思わず「上手い事を言う」と思った。確かに物理的には段差だらけだけど心は完全にバリアフリーだ。あそこでは子供も病人も老人も障害者もみんな元気付けられ楽しくなる。確かに「心のバリアフリーだ」と私は叫んでしまった。私はその日以来、「心のバリアフリー」と言う言葉が気に入り、彼の様に生きたいなあと思う様になった。

  

 

月報」7月号の巻頭言: 「嘘は良くない」   郷津 正子

先日、スーパーマーケットで知人に会い立ち話の中で私達がある方にずっと騙されていた事に気付きました。3年近く前、教会の後ろの空き地に家が建ち始めました。そして、その土地の持ち主から「建主は老夫妻で奥様は足が悪いので緊急時の避難口として教会の敷地を通れる様に階段を付け裏木戸を作らせて欲しい」と頼まれました。

 

 高齢者が袋小路の様な土地に家を建てると言うのは余程の事情なのだろうから何とかしてあげたいと思いました。しかし、教会の敷地を通る事を許可すると永遠に後ろの家の方は教会を通路として使っても良い事になるのだと知りました。それで将来的に教会に迷惑が掛かる事は簡単には許可できないと思い、お断りしました。

すると相手は、豹変し「教会ともあろう者が老人を苦しめて良いのか。教会は公的な物なのにそんな非情な真似をして許されると思うのか」と怒鳴り、最後には、「提案を受け入れないなら今後は自分が貸している隣の葬祭場の駐車場も教会には一切、使わせない」と言われました。でも、脅されても教会にとって不利益になる事は出来ないので正式に断りました。

 

でも、私達は、隣にお年寄りが引っ越して来られたらお詫びに行き「緊急時にはお手伝いします」と言いに行くつもりでした。ところが、いつになっても老夫妻は現れず、ある日、金髪の青年がその家に住んでいる事が判りました。「きっと老夫妻はこの家を諦めお孫さんに譲ったのかもしれない。申し訳ない事をした」と私達は思っていました。しかし、老夫妻が隣の土地を購入したと言う話しは、すべて噓だったのです。あの家は元々、貸家で老夫妻などどこにも存在していなかったのです。

私は騙された事よりもすぐにばれる様な噓を平気で付く事業家がいる事にショックを受けました。でも、しばらく経って、「今の時代は、この人だけではない、国のトップも官僚、教育者もみな平気で噓を付く時代なのだ」と思いました。

 

昔は「噓」の反対が「真実」だと思っていましたが、今の時代は、真実は1つではなく、その人、その人にとっての真実がある様です。勿論、多くの人はそれを噓と呼びますが、ご本人にとっては、噓はついていないと言う事になるのでしょう。最近、「ご飯論法」と言う言葉が話題になりましたが、これは、「朝ごはんは食べましたか?」と聞かれ、食べたと言いたくない場合、実際は朝ご飯としてパンは食べているのに「ご飯は食べません」と論点をすりかえ誤魔化すやり方です。フェイクニュースやSNSでの噓の発信など日常茶飯事の時代にあって一々、「噓だ」と言い続けても空しくなるだけですが、やはり「噓をつくのは良くない」と子供達にちゃんと言える大人でいたいと思います。

  

月報」6月号の巻頭言:「どっちだって幸せ!」   郷津 裕

 

先日、牧師の集まりで短い説教を聞いた。説教者は創世記12章から「75才のアブラハムが今までいた地を捨て新天地に足を踏み出した。あなたも年令に縛られず教会の外に出て行く必要がある。自分は、今、牧師をしながら新聞記者になりグルメレポートを書いている。そのため、居酒屋やレストラン、カフェ、と今まで知りあう事のなかった方々と親しくなり世界が広がった。あなたはどんな教会外の活動をしていますか」と問う説教だった。私は、内心「教会外の活動をしていないからと言って他人に責められる必要はないのではないか」と思った。何故なら、前日、全く、この説教と正反対な人生を生きている老夫妻を訪ねていたからだ。

 

彼らは揃って病気になり教会に行けなくなってしまった。その上、動く事が不自由になった妻を病気の夫が看ている。そんな状況では、きっと元気がなくなり落ち込んでいるに違いないと勝手に想像していた。しかし、実際は、逆だった。私たち夫婦が彼らに励まされて戻ってきたのだ。

 

 ただ椅子に座っているだけの妻は、口数は減ったが常に微笑みを絶やさずゆったりと今を楽しんでいるように見えた。

 

夫も自分の病気を神様からの訓練だと受け止め、礼拝に出られない事で信仰がダウンしないようにと毎朝、二人で聖書を読み、数冊の信仰書で励まされて祈る日々を続けておられる。夫は信仰が与えられ主に守られた日々を送れている事を喜び、自分を信仰に導いてくれた妻に心からの感謝を表した。

 

 私は、教会外の世界に飛び出し活躍の場を見い出した牧師も家だけの生活になり教会にすら行けなくなった夫妻も共に、今、幸せを覚えていると言う点では同じだと感じた。ただ、何かが出来るから・・人に活躍を見てもらえるから・・他の人に証しが出来ているから・・「自分の事を神様は喜んでいる」と感じるのは早計なのではないだろうか。人それぞれに生き方がある。皆が皆、活躍の場を外に求めなくても神様の前にも人の前にも喜ばしい歩みが出来るのではないかと本当に思った。

 

年令を重ねればどう頑張っても思う様に動けない、歯痒いほど、かつて出来た事が出来なくなる。そんな惨めな思いを重ねて人は年老いていく。しかし、老人に家の中に閉じこもっていろと聖書は言っていない。神様が外に一歩、踏み出せと言われたならアブラハムの様に勇気を出し未知の世界に進み出せば良い。もし、外に出られなくなったとしてもそれが主が求めている生活なら今ある場所で感謝して日々を送る。それだけでも尊く意義のある日々だと私は思う。だからこそ、神様が語りかけられる私への導きに耳を澄ませ与えられた道を喜んで進んで行きたいと切実に感じた。